第7話

 発車してしばらくの間、竜は窓の外を眺めながらサンドイッチやパンを食べ、低い声でエミルとのおしゃべりを楽しんだ。窓の外の景色が流れていく速さから、汽車がかなりのスピードで走っていることがわかる。5時過ぎだけれど、外はまだ昼そのものの明るさで、夕方という感じが全くしなかった。明るい日差しの中、緑あふれる風景がどんどん流れていく。こちらの家は赤い屋根が多いようだ。美しい緑に、白い壁と赤い屋根が映える。やっぱりヨーロッパの風景という感じがする。

「さっきの話なんですけど…。『ドア』が初めはドイツやオーストリアにしかなかったのが、他のところにも拡がって…っていう。そもそも『ドア』っていうのはどういうものなんですか?」

 エミルは眉を上げていたずらっぽく笑ってみせた。

「難しい質問をするな。『ドア』に関しては、昔は盛んにいろんな研究がされたそうだけど、最近ではほとんど何もなされていないんだ。お手上げ状態というところだな。なんせ、こっちの人間は向こうには行かれないし、『ドア』は向こうにしか存在しないから。わかっていることといえば、『ドア』は向こうの世界のあちこちにあって、しかもどうもいつも同じところにあるわけではないらしいということ。だから『浮遊するドア』とも呼ばれているんだ。目には見えないから、向こうの人はそこに『ドア』があるなんて知らずにその中に入ってしまってこっちの世界に来る…あるいは他の世界に行くってこともあるんじゃないかっていう説もあるね」

「他の世界に?」

「そう。つまり、他にも世界があって、『ドア』はこの世界だけじゃなく、他の世界にもつながっている、っていう説だ。だから例えば竜だって、ここじゃなくて他の世界に行ってしまったかもしれないっていうこと」

 竜はぞっとした。

「…ここにこられて本当によかったです」

 そう言って最後に取っておいたあんパンを一口かじった。

「おいしい!」

 エミルが微笑む。

「本家本元のお墨付きか。パン屋が聞いたら喜ぶぞ」

「昔からあるんですか?」

「そうでもないなあ。僕が子供の頃はなかったと思う。少なくともフリアにはなかったね」

「じゃあ、例えば数年前に日本人のパン屋さんがこっちにお客に来て、滞在している間にこっちのパン屋さんに作り方を教えたとか…」

「そうだね。あるいはこっちに移住して自分の店を開いて、そこからあちこちに広まったとかね」

「そういう人に会ったことありますか?」

「向こうの世界からこっちに来て、そのまま向こうに帰らなかった人?個人的には知らないけど、たまにいるよ。そうそう、そういえば、大学時代の友人のそのまた友人のお祖父さんが、向こうからの移住者だったって聞いたことがあったな」

 エミルは竜を横目で見て、

「竜はこっちに移住したいと思うか」

 もちろんです、と答えかけて、竜は考えた。

「移住すると…向こうではどうなるんでしょう。やっぱり行方不明とかいうことになるんでしょうね」

「そうだろうね」

「…それはやっぱり…ちょっと困るなあと思います。向こうに手紙を送ったりできるならまだいいけど、何も知らせずにいきなりいなくなったりしたら、家族が悲しむと思うし。もちろん、一度向こうに帰って家族に事情を説明した後なら別ですけど」

 ふと思いついて尋ねた。

「真は、初めてこっちに来た時、移住したいって言ったんですか?」

「できるものならずっとこっちにいたいって言ってたよ。移住という言葉ではなかったけど」

 エミルは遠い目をして言った。

「でもできない。そう言ってあんまり泣くから、あの魔…おっと」

「意識の空間で話しましょう」

 竜は低い囁き声で提案した。確かに他の座席との間はかなり離れているけれど、車内は内緒話を続けるには静かすぎた。


 「真が泣いたんですか?」

 意識の空間に入るなり、竜は訊ねた。

「そう。あと2日で帰らなきゃいけないって夜だったな。二人で、家の果樹園で魔法の練習をしていた時だった。急に黙りこくったと思ったら泣き出して…びっくりしたよ」 

 エミルは懐かしそうに微笑んだ。

「真は気が強くて、物怖じしないし…、活発で、負けん気が強くて、男の子みたいだったから、僕もいつの間にか真を男の子の友達みたいに思ってたんだ。それがいきなり女の子みたいに泣き出して、何を言っても泣き止まない。こっちまで泣きたくなったよ」

 あの真が泣いたなんて。覚えている限りでは、竜は真が泣くのを見たことがなかった。水泳のレースで負けた時や、母さんと喧嘩をした時なんかに、悔し涙を浮かべていたことはあったけれど。

「ずっとこっちにいたい、でも帰らなきゃいけない、でも帰りたくない、でも帰らなきゃ、でも…って、果てしなく続くんだ。合間にこんなのひどすぎる、って何度も言いながらしゃくり上げる。まるでこの世の終わりみたいに泣いてた。僕はどうしたらいいか分からなくて…、それでちょっと迷ったんだけど、父の魔法のことを話したんだ。そうしたら、たちまちいつもの男の子みたいな真に戻って、今すぐその魔法を見せろって。もう夜も遅いし明日にしようって言ったら、すごい目で睨まれて『今じゃなきゃだめ!』って怒鳴られた」

 竜は苦笑した。

「真らしい…」

「それで父の書斎にそっと忍び込んだ。道具のしまってある場所はわかっていたから、冷や汗かきながら持ち出して、果樹園に戻った」

「ということは、そんなに大きな道具じゃないんですね」

「これよりちょっと小さいくらいだよ」

 エミルは両手の拳を隣り合わせにくっつけて見せた。

「子供の二つの手で握って少し余るくらい」

 竜は息を詰めて訊ねた。

「…どうやって使うんですか」

「向こうに帰る時は、ただ握りしめて『属するところに戻れ』という魔法を行う。するとそれによって『属するところに戻れ』という魔法と『元いたところに戻れ』という魔法が働く。向こうからこっちに戻ってくるには、予めこっちから持っていったこっちの世界に属する物――例えば小石なんかでもいい――を中に入れて、また『属するところに戻れ』という魔法を行う。そうすると道具の仕掛けによって、中に入れた物の、『こっちの世界に属する』という性質がほぼ無限に高められて、道具を握りしめている人の、『向こうの世界に属する』という性質を上回る。それでこっちに戻ってこられる。簡単にいうとそんな感じだ」

「『属するところに戻れ』…」

 竜は心に刻むように呟いた。

「難しいんですか?」

「うーん、まあ初心者レベルではないけど、大して難しくないよ。心配するな。竜ならすぐできるようになる」

「真はすぐできたんですか」

「割とね」

 また懐かしむように笑って、

「いつもの真だったら、問題なくすぐにできるようになっただろうけど、これができるようにならないともうこっちに二度と戻ってこられない、ってガチガチに気負っていたから、思ったより習得に時間がかかったよ。でもさっきも言ったように、大して難しい魔法ではないんだ。それにこの魔法で大事なのは道具の方であって、それを使うための『属するところに戻れ』という魔法は、例えて言えば、道具のスイッチをONにするくらいの役割しか果たさないから」

「…そうなんですか」

 竜はホッとした。二つの世界の行き来を可能にするような高度な魔法が、果たして自分なんかにできるのだろうかと、少し不安に思っていたのだ。そうか。大事なのは道具の方だったんだ。

「それで…お父さんに内緒で使ったんですか」

「そう」

 エミルはため息をついた。

「今だったら、絶対に絶対にあんなことさせない。誰も試したことのない、成功するかわからない魔法を使ってみるなんて、狂気の沙汰だ。でも子供だったし、命の危険があるとか、そんなこと考えてもみなかったんだ。父のことを世界一の天才だと思っていたし、その父の作ったものが失敗するかもしれないなんて微塵も思わなかった。まったく…我ながら呆れた無鉄砲な子供だったよ」

「真もでしょう」

 エミルは笑った。

「まあね。まったく危険な二人組だったよ」

「それで、それでどうしたんですか」

 竜は話の続きが聴きたくてうずうずした。

「真が帰る予定だった日の早朝に、果樹園で試してみたんだ。前の晩は真のお別れパーティでみんな遅くまで起きていたから、果樹園に行かれなくてね。まだ夜明けには間があったけど、月明かりで辺りは十分明るかった。果樹園の、いつも二人で練習をしていた場所に行って、ワクワクしながら向かい合って立った。僕は何も心配していなかったし、真も見た限りでは同じだった――後で、実はちょっと心配だったんだ、って打ち明けてくれたけど。

 二人で決めた計画では、真は向こうに戻って1分以内、つまりこっちでは24分以内にまたこっちに帰ってくることになっていた。念のため、向こうの世界のものを持ってきたりはしないことにした。余計なことをして魔法に影響があったら大変だからね。そうして真が戻ってきたら、二人で父のところに行って、胸を張って報告するつもりだった。父がどんなに驚き喜ぶだろうと、二人ともその瞬間を楽しみにしていたんだ。

 真は、二人で一緒に報告に行くのは構わないけど、報告そのものは自分がするべきだって主張した。『実際に魔法を使うのは私なんだから、報告する権利は私にあるはずでしょ』って」

 エミルが真の言い方をうまく真似たので、竜は思わず笑ってしまった。

「似てる!」

 エミルも笑った。

「よく真似して怒らせてたからね。悪ガキだったんだな僕も」

 懐かしそうにため息をついてから、エミルは話を続けた。

「いよいよという時、はっと気づいて真に訊いた。『こっちの世界に属するもの、持った?』真はぽかんとして僕を見て、その後ぞっとした顔をした。忘れてたんだ。僕も背筋がぞっとしたよ。まったく」

 竜も想像しただけでぞっとした。そのまま向こうに戻ってしまっていたら!

「慌てて二人でその辺を探して、小さい白い石を見つけた。真はそれをポケットに入れて、僕を見てうなずくと、『じゃ、行ってくる』。僕もうなずいて『うん』。そして真は消えた」

 エミルは宙を見上げた。

「あの時の気持ちは今も忘れられない。姿を見えなくする魔法というのはあるけど、それとはまったく違うんだ。唐突に、跡形もなく、気配すら一瞬のうちに消える。その人間の存在の全てが、本当に全てがこの世界から消えるんだ。なんといったらいいのか…圧倒されたよ」

 竜はなぜかその場面が見えたような気がした。月明かりの果樹園。頷き合う二人。一瞬の後、真が跡形もなく消え失せる。微風。木々のざわめき。真の抜け落ちた風景を茫然と眺めるエミル。

「我にかえった僕は慌てて腕時計を見た。4時20分。4時44分までに真が戻ってくるはずだ。それまで時間をつぶそうと、星を眺めながらその辺をうろうろし出したところへ、父がやってきたんだ」

 竜は思わず息を呑んだ。

「父は低い声で何かの歌を口ずさみながらゆっくり歩いてきた。そして『おや、真はどこだい』と言った。『水を飲みに起きたら、窓からお前たちが見えたから。最後の夜になんの練習をしているのかなと思ってね』。僕が答えられないでいると、父はしんみりした調子で『真ももう帰ってしまうんだなあ。お前も寂しいだろう』とかなんとか言い始めた。

 僕は気が気じゃない。いつ真がここに戻ってくるかわからないのに。で、『お父さん、真が納屋で面白い実験を見せてくれるんだって。一緒に行こう』と言って父の手を引っ張って納屋の方へ歩き出した。父が苦笑して何か言いかけた時、背後で…あれはなんといっていいのか、強い気配がした。音もしたのかもしれない。でも僕が感じたのは、突然この世界に現れた強い『気配』だった。思わず振り返った。そこに真が立っていた。

 僕は思わず『やった!』と跳び上がったけど、真は顔をしかめて、『約束が違うじゃないの』。僕が父を連れてきたんだと思ったんだね。で、つかつかと父に近づくと、魔法の道具を差し出して『カール、勝手に使ってしまってごめんなさい。今、向こうに行って戻ってきました。発明は大成功です。おめでとうございます』と胸を張って言ったんだ」

 竜はくすりと笑った。真の得意満面な顔が見えるようだった。

「もちろん父は仰天した。しばらく絶句していたけど、すぐ真に色々質問し出して――どんな感じだったかとか、どこも痛くないかとか、道具には何を入れたんだとか――、とても嬉しそうだった。朝食の時もその話で持ちきりだった。僕たち家族はみんなもちろん父の発明の成功を喜んでいたけど、でもそれ以上に真がまたいつでもこっちに戻ってこられるっていうのが嬉しかった。みんな真が好きだったからね。母なんて真を抱きしめて嬉し泣きしてたよ。父が知らせたんでマーカスも飛んできた。マーカスは感激屋だったからね、母に負けないくらい泣いてたっけ。父に何度もおめでとうと言っていた。その日はお祝いだったよ」

「勝手に道具を使ったこと、お父さんに怒られなかったんですね」

「怒られたさ!真が向こうに帰った後で、僕だけみっちり叱られた」

「ええー」

 竜は思わず声をあげた。

「それはひどいです。真だって悪いのに。不公平ですよ」

「書斎に忍び込んで盗み聞きして、そのことを真に話して、道具を勝手に持ち出したのは僕だよ。もちろん僕が悪いさ。叱られて当然だ」

 エミルはちょっと笑って、

「ま、これは大人になった僕の意見だ。あの時は、僕だけが悪いんじゃないのにって思ったよ」

 そう思って当然だ、と竜は頷いた。似たような経験をしたことがあるからよくわかる。大人というのは、わざとなのか不注意からなのか、結構不公平なことをするものだ。

「それで、真はその同じ日のうちに向こうに帰ったんですね?」

「そう、午後にね。また果樹園で、今度はみんなに見送られて。マーカスと父は二人で家に戻る道々ずっと専門的な話をしながら歩いていって、そのまま書斎にこもってしまった。しばらくして僕が呼ばれた。今回の実験に関わった者として、研究者の議論に加えてもらえるのかと喜び勇んで行ったら、こってり絞られたってわけ」

 しゅんとしたエミル少年の背中が目に見えるようだった。

「行き来をする時、いつも出かけたところと同じ場所に戻ってくるんですか?」

「そう。正確に、必ず同じ場所に戻ってくる」

「じゃ、真は果樹園に戻ってきたんですね」

「ああ。何日の何時に戻ってくるとはっきりわかっていなかったから、僕は毎日果樹園の方ばかり気になってね。少なくとも丸16日経ってからじゃないと戻ってこないだろう、とは思っていたけど」

「実際にはどうだったんですか」

「丸16日よりちょっと早かった。昼前だったね。果樹園に続く道はキッチンの窓からよく見えるんだ。昼食の支度をしていた母が果樹園から走ってくる真を一番に見つけて、剥いていたジャガイモを放り出して駆け出していったよ。『真よ!』とかなんとか言ってくれればいいのに、何にも言わないで跳び上がったと思ったらいきなり駆け出していくんだからな。一緒にジャガイモの皮剥きをさせられていた僕と兄貴はぎょっとしたよ」

 想像して竜は思わず笑ってしまった。

「向こうに戻った時とは違う服装で来たんですか?」

 よく気がついた、というようにエミルは眉を上げて頷いてみせた。

「そのことは、真が向こうに戻る前に、父とマーカスと真で話し合ってた。理論上は、何を着ていようが一緒に何を持ってこようが、行き来をする魔法に影響はないはずなんだ。さっきも言ったけど、道具の中に入れた物の『こっちの世界に属する』という性質は、道具の持つ魔法によってほぼ無限に高められる。だから、例えば秤があるとして、一方の皿に大きな岩が乗っていて、もう片方の皿に胡麻が一粒乗っている場合に、その胡麻が二粒になろうと百粒になろうと、秤の傾きに影響はないのと同じなんだ。胡麻が白胡麻だろうと黒胡麻だろうとピンクに塗ってあろうと影響はない。

 でもまあ未知の分野だからね。父やマーカスは大丈夫と言っていたけど、真はあれこれ持ち運んだりはしなかったし、いつも同じパジャマで来てた。『念のため』って言って。意外と慎重派だったね」

 実際の世界で車掌がやってきた。汽車の車体と同じクリーム色の制服を着ている。エミルがポケットから二人分のチケットを出して渡すと、車掌は竜を見てにこりとした。竜もはにかみながら笑顔を返した。チケットをエミルに返しながら車掌は竜に頷き、

「楽しいご滞在になりますように」

 と囁いて、次の座席へと静かに歩いていった。

「やっぱり一目でわかっちゃうんですね。僕がここの出身じゃないって」

 竜は首を傾げた。

「どうしてだろう。こっちにもアジアっぽい外見の人はいるのに」

「まあ、雰囲気かな。車掌なんて仕事をしてると、毎日たくさんの乗客を見てるからよくわかるんだろう。あとは着てるものとかね。あんまり気にするな」

 着てるもの?竜は自分の服を見下ろした。キャンプでパジャマの代わりにしようと持って来た、濃いブルーのTシャツと黒のドライジャージーパンツ。Tシャツには大きくspeedoと書いてある。

「…これかあ」

 こっちにはもちろんスピードなんてブランドはない。それに、と竜は考えた。そういえばソンダース魔法大学でも、バスの中でも、駅でも、Tシャツを着ている人はいっぱいいたけど、文字の入ったTシャツは見かけなかったような気がする…。

「気にするなって」

 エミルが笑った。

「向こうからのお客だとわかったからって、何にも悪いことなんてない。みんな向こうからのお客は大好きだから」

「でもやっぱり、ちょっと気恥ずかしいです…」

と言いながら、大きなあくびが出てしまった。

「ちょっと寝ろ」

 エミルがきっぱり言った。

「そんな。時間がもったいないです」

 首を振って竜は窓の外を見た。美しい緑の丘の間に青く輝く湖が見えてきたところだ。何一つ見逃したくないし、もっともっとエミルの話を聞きたい。

「最初の頃の真とおんなじことを言うなあ。毎日聞いてたよ、その言葉。時間がもったいない、時間がもったいない、って」

 エミルがおかしそうに言った。そして声を潜めて、

「そんなにガツガツするな。また何度でも戻って来られるんだから」

 竜はちょっと驚いてエミルを見た。ずいぶん自信たっぷりに言うなあと思ったのだ。

「…ちょっと意識の空間で話していいですか」

 心地良い淡いグリーンとブルーの空間に戻ると、エミルが尋ねた。

「なんだい」

「お父さんが、あの魔法を…道具をもう一度作ってくれると思いますか」

 エミルは微笑んだ。

「父が魔法発明学から引退したのは、自分の発明のせいで真が消えた、あるいは最悪の場合死んでしまったと思ったからだ。だから真が無事だったと分かれば、あの道具をもう一度作らない理由はない。何より、それが他ならぬ真の弟の頼みとあれば、聞かないわけにはいかないだろうと思うよ。父だって真にまた会いたいだろうし」

 エミルはいたずらっぽく笑った。

「父がどんなにびっくりするか、今から楽しみだよ。真が生きていて…しかも竜がここにいて…。こんな奇跡みたいな偶然の話は聞いたことがない。僕だってまだ信じられないよ。ただ…」

 真顔になってエミルは続けた。

「今回竜が向こうに戻る日までに道具を新しく作れるのかどうかは、また別の話だ。さっきも話したけど、要の部品がなくなっているらしいし。それをどうするのか…そこのところは僕にもわからない」

「そうですよね…」

 竜は肩を落とした。

「でもわからないっていうことは、できないかもしれないと同時にできるかもしれないってことでもある。だったらできると思っていればいい。できないとわかったら、そのとき初めて悲しめばいいんだから」

 エミルが片目をつぶってみせる。竜は嬉しくなって頷いた。ほんとうにその通りだと思った。

「じゃ、またいつでも戻って来られるって思うことにします」

 にこりとして言ったあと、また大きなあくびが出てしまった。エミルが笑った。

「本当に寝たほうがいいな。かなり眠そうだぞ」

 そう言って周りを見たエミルにつられて、竜も周囲を見回してみた。意識の空間が、少しぼやけている。

「あれ…」

「眠いとこうなる」

 まるでスイミングゴーグルが曇った時のようだ。そう思った時、竜はふとあることを思い出した。

 この前、真と二人でゴーグルを買いに行った時のことだ。小さい時から竜はブルー、真はブラックが好きで、ミラーにすることはあっても、基本の色は変わらなかった。それなのにこの間、ふと横を見ると、真がピンクのゴーグルを顔に当てていたのだ。

「何してんの真」

「ん?」

「ピンクなんて」

 真はため息をついてゴーグルを顔から離すと、

「うん、どんな風なのかなって思って。でも期待してたのとはちょっと違った」

 と言って、いつも通りブラックのゴーグルを選んだのだった。

 あれは、もしかして、…もしかして、真の意識の空間がピンクだったっていうのと何か関係あるんじゃないだろうか?やっぱり真はこっちの世界のことを覚えていて、意識の世界を懐かしく思って、ゴーグルで再現してみようとしたんじゃないだろうか?でも、ということは、向こうの世界では意識の空間を使えなくなってしまうっていうことなのだろうか。それとも…

 考えがまとまらない。それどころかなんだかクラクラしてきた。

「…ちょっと眠った方がいいみたいです」

「そうしろ」

 実際の世界に戻って、エミルに手伝ってもらって座席を倒し、レッグレストを引き出す。重いまぶたを閉じた途端、竜はあっという間に眠りに引き込まれてしまった。

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