第94話 雨上がりの空に

「な、なるほど。そんなことが……」


 部屋でマーガレットからひとしきり詳細を聞いて、ロルフはふうと息を漏らした。


 彼女が気絶したリーシャを背負って帰って来た時は、何があったのかと騒ぎ立ててしまったが――いや、実際に大変なことが起こっていたわけだが、ともかく皆が無事でなによりだ。


 ちなみに、当のリーシャたちは、疲れ果てて隣の部屋で寝ている。

 エトの傷もマイアが治療したし、明日の朝には元気に起きてくるだろう。


「まったく、無茶な戦い方をするよ。アンタのとこは、どんな教育をしてるんだい。」

「はは……返す言葉もありません。」


 確かに、風の魔法で物を打ち出す戦術は教えたのだが……よもやリーシャとマイア二人分の魔力で、エトを射出するとは。

 吹っ飛んだ発想とはまさにこのことである。


「ま、それに助けられちゃ、文句も言えないけどね。よく教え込んだもんだよ。」

「いえ、あの子たち自身の力ですよ。俺は、少し手助けしただけです。」


 高出力の魔力、繊細な魔法操作、なにより吹き飛ばされる側の絶対的な信頼。そのどれが欠けても成立しない戦術。

 そういった意味では、実に彼女たちらしいとも言えるが、とてもではないが教科書には載せられない。

 百戦錬磨の先生でも、さぞ驚いたことだろう。


「……それ、どうなんだい。」

「ああ……これは、ダメでしょうね。応急処置して、次の街で新しいものを探しますよ。」


 ロルフは苦笑いしながら、手に持っていたリーシャの杖を机に置いた。

 先端あたりに大きな亀裂が入っている。杖の許容限界を超えた魔法を使ったためだろう。


「ま、そうだろうねぇ。アンタが調整してなきゃ、杖ごとはじけ飛んでたとこさ。」

「それは、杖の性能を限界まで引き出した……とも、言えるのでは?」

「ふっ……そりゃ、言葉遊びさね。」


 マーガレットは半笑いで立ち上がると、ベッドに立てかけてあった自分の杖を手に取り、こちらに差し出してきた。


「……? これは?」

「こいつを代わりに持っていきな。力になるだろうさ。」

「代わり……」


 言っている意味がよくわからず、数秒間を置いたのち、ロルフは驚いて叫んだ。


「れ、霊杖ミストルティンをですか?! こんなもの、頂くわけには……!」

「バカタレ! アンタにやるんじゃないよ!」


 マーガレットは目を細め、視線を落とした。


「……リーシャに、さ。」

「!」


 ロルフの手に杖を押し付けると、マーガレットは目を合わせないままに、続けた。


「アンタの言った通りだよ。アタシは、リーシャに魔法を教えなかった。……冒険者に、なってほしくなかったからね。」

「……」


 ロルフは、黙って頷いた。


 今でこそ少なくなったが、当時は冒険者の中でも、魔導士は最も命を落としやすかった。

 魔力が切れると戦えなくなること、敵に接近されるだけで行動不能に陥ること、詠唱中無防備になることなど弱点が多く、撤退の際に置き去りにされるケースも多かったのだ。


 職業柄、先生はその危険性を、誰よりもよく知っていたはず。

 育ての親として、そんな職業につかせたくないという気持ちを、誰が否定できるだろうか。


「ま、それでも勝手に学んで、出て行っちまったんだけどね。うまくいかないもんさ。」

「……すみません。」

「バカだね、謝るんじゃないよ。感謝してるのさ。これでもね。」

「ですが……」

「虫のいい話だけどね。こんなことならちゃんと魔法を教えてやれば良かったと、悔やまない日はなかったよ。だから、私が教えたアンタがリーシャを指導してるっていうのは……少し、救われた気持ちになるのさ。」


 寂しげに笑うマーガレットにどう返せばいいかわからず、ロルフは口ごもりした。

 するとマーガレットは顔を上げ、真剣な顔でロルフの目をまっすぐに見た。


「これからも、リーシャをよろしく頼むよ。この杖は、その駄賃さ。」

「……ええ。任せてください。」


 そうも言われては、もはや引き下がることはできない。

 ロルフは杖を強く掴むと、深く頷いた。


 マーガレットは満足げに微笑むと、杖から手を離し、ロルフの方へ押し出した。


「さ、もう寝るとするよ。アタシは明日も早いんだ。」

「ああ、最後に一つだけ、聞いてもいいですか?」

「ん? なんだい。」


 ロルフは最初にマーガレットから話を聞いたときから、ずっと疑問に思っていたことを口にした。


「本当に、先生が追いつめられるほど……強い魔物だったんですか?」


 その問いに、マーガレットはしばし目を丸くして。

 そのあと、目を細めて、にやりと笑った。


「野暮なことを聞くもんじゃないよ。私は娘と、アンタの教え子たちに助けられた。それ以上のことがあるかい?」

「……ふふ。いえ、ごもっともです。」


 ロルフとマーガレットは、お互いに微笑みあった。



+++



「ふわーい! よく寝たのだー!」


 大きく伸びをするスゥの横で、エトとマイアは空を見上げていた。

 昨日の嵐は嘘のように過ぎ、晴天の空が心地よい。


「で、ここはどこなのだ?」

「あはは……スゥちゃんはずっと寝てたもんね。」

「昨日はなかなか、大変だったのですよ?」


 こてんと首を傾げるスゥをみて、二人がクスクスと笑う。


「ところで、リーシャはどうしたのですか?」

「あ、リーシャちゃんなら、マーガレットさんの所に行ったよ。」

「ああ……それは、邪魔しないほうがよさそうですね。」

「うん、だね。」


 二人が空に暖かな視線を送る中、スゥだけが目を点にしていた。


「え? それは誰なのだ??」



 一方でロルフは、リーシャと一緒にマーガレットの部屋にいた。

 正確には、マーガレットとロルフのいた部屋に、リーシャが入ってきたのだが。


「ちょ、ちょっとシスター?! こ、こんなもの受け取れないわよ!!」


 杖のことを説明すると、案の定リーシャはそれを拒否した。まあ当然といえば当然、値も付けられないような武器なのだ。

 とはいえこちらも当然、それで引くようなマーガレットではない。


「調子に乗るんじゃないよ!! アンタじゃなくて、アンタのギルドに渡したのさ。」

「そ……それは、でも……」

「何だい。言いたいことがあるならはっきり言いな!」

「……うう……」


 その言い分に思うところはあったが、野暮なことなので、ロルフは何も言わないことにした。


「……それと、リーシャ。」

「な、何よ……」

「いい仲間を、見つけたね。」

「!」


 そういったマーガレットの顔は、今まで見たことないほどに、穏やかな表情だった。


「……うん。シスター……私、私ね……」


 が、その次の瞬間、ドアがバン! と勢いよく開け放たれた。


「ええっ! リーシャの母ちゃんが来てるのだー?!」

「ちょ、ちょっとスゥちゃん……! 大事な話かもしれないから……っ!」


 そしてスゥと、それを引き留めようとするエトが転がり込んできて、その後方からひょこっと顔を覗かせたマイアは、謝罪のごとく静かに頭を下げた。


「あ、アンタたちねぇ……」


 リーシャがわなわなと拳を震わせる隣で、マーガレットは豪快に笑った。


「ハッハッハ! にぎやかでいいねぇ。せっかくだから、ギルドでのリーシャの話でも聞いて行こうかね?」

「は、はぁ?!」

「おっ? よくわからんけど、任せるのだー!」

「か、勝手に任されるなぁーっ!!」


 騒がしい笑い声は、澄み渡った青空に響いて、しばらく消えることはなかった。

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