第90話 雨中の災い②

「ねぇ、シスターは凄い魔導士なんでしょ?」

「うん? そうさね。」

「じゃあ、私に魔法を教えてよっ!」


 幼いリーシャは、机に両手をつき、身を乗り出した。

 シスターはちらりとこちらを見たが、そのまますぐに視線を手元の書き物に戻してしまった。


「んー? アンタには、まだ無理さ。」

「またそれっ! じゃあ、いつになったら教えてくれるの?」

「そうさねぇ……」


 シスターは手を止めずに、口だけで返した。


「リーシャは、どうして魔法を覚えたいんだい。」

「だって、魔法があれば、ちびたちを守れるでしょ。私はお姉さんなんだから。」


 リーシャはそういって、ふふんと胸を張った。

 そうすると、今度はシスターは手を止め、顔をリーシャの方に向けた。


「それじゃ、ダメだね。いいかい――」


 その続きを聞くと、リーシャは頬を膨らませた。


「なによそれっ、それじゃ、逆じゃない! シスターの意地悪!!」

「あ、これリーシャ!」


 呼び止めるシスターを無視して、リーシャは外に駆け出した。


 確かあの後、シスターが自分のことを認めてくれないのが悲しくて、孤児院の外で一人で泣いてたっけ。


 あれ、でも……


 ……あのとき、なんて言われたんだっけな。



+++



 落雷の後すぐに、シスターは手早く装備を整え始めた。


「ちょっと、封印の様子を見てくるよ。なあに、ちゃちゃっと帰ってくるさ。」

「い、いやいや、先生。それはなんというか、まずい気が……」


 ロルフはもちろん止めようとしているが、シスターが手を止める様子は無い。

 こういう時、何を言っても聞かない人だということは、私が一番知っていた。


 リーシャは腕を組んで、はあ、とため息をついた。


「私も行くわ。」

「?!」


 ばっ、とロルフが目を向ける。

 シスターも最初こそ驚いた表情をしたが、すぐにやれやれと目を細めた。


「あのね、リーシャ。この仕事は――」

「ちゃっちゃと! 帰ってくるんでしょ。なら問題ないじゃない。」


 シスターはむう、と口をつぐんだ。でも、認めたというよりは、どうあしらおうか考えている感じだ。


「あ、あのっ!」


 そこに、エトが控えめに手をあげた。


「私たちも、行ってもいいですか?」

「……どうか、ご一緒させてください。」


 シスターに向かって、マイアもぺこりと頭を下げる。


「エト、マイア……。」


 リーシャが振り返ると、二人は何を言うでもなく、頷いた。


 シスターは何か言いかけた口を一度閉じ、三人をゆっくり見回した。

 そしてふう、と肩を落とし、また荷物を漁り始めた。


「とっとと準備しな。すぐに出るよ。」

「……!」


 三人はわっと顔を見合わせた。


「ま、待て。それなら俺も……」

「バカタレ!! アンタは戦えないだろ、確実に留守番だよ!!」

「……。」


 言い返す言葉もなく、ロルフはすごすごと椅子に戻った。



 ――そんなこんなで、シスターとリーシャ、エトとマイアの四人は、暴風雨の中、村のはずれの森を進んでいた。

 まだ日は沈み切っていないはずだが、分厚い雨雲のせいもあって、かなり薄暗い。


 雨も風も一向に止む気配はなく、視界の悪さとぬかるんだ足場が、着実に体力を奪っていた。


 ……主に、リーシャの。


「はぁ……ふうぅ……」

「リーシャちゃん、大丈夫……?」


 先頭を歩いていたシスターが立ち止まり、手を腰に置いた。


「やれやれ、だらしないね。アンタが言い出したんだろうに。」

「シスターが……はぁ、年の割に、足腰、強すぎるのよ……っ」

「年寄扱いするんじゃないよ。これでもまだ八十八さね。」

「え、ええ……お元気ですね、マーガレットさん……」


 エトとマイアは森に慣れているから、消耗が少ないのはわかる。

 けど、シスターが一番元気そうなのは、何か納得いかない……。


「体……鍛えよう……」


 リーシャは軽く涙目になりながら、小声で呟いた。


「ま、目的地はもうすぐさね。この林を抜ければ石塔が――」


 そういって再び前を向いたシスターは、ふいに言葉を切った。

 そして、少し周囲を見回したかと思うと、その場にしゃがみこんだ。


「ど、どうしたのよ。大丈夫……?」

「待ちな!!」


 駆け寄ろうとしたリーシャを、シスターは声で制した。

 そのまま何かを手に取り、引きちぎるようにして持ち上げた。


「……?」


 三人も慎重に近づいて、それを覗き込む。

 シスターの手の中で、何かとても細いものが、きらきらと光っていた。


「……糸?」


 シスターはそれを手早く捨てると、纏っていたマントを開き、杖を持った真横に手を突き出した。


 二つの木が絡まったような、特殊な形状の杖。

 その先端に囲われるように置かれた深緑色の宝玉が、青く煌めいた。


「――全員、構えな。」


 稲光が走る。


 その刹那の明かりが、地面に巨大な八本の足を映し出した。


「予想の、悪いほうさね。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る