第91話 雨中の災い③
「あの……マーガレットさん。」
「何だい?」
「この先に封印されている魔物っていうのは、どういう魔物なんですか?」
森の中、足を進めながら、エトは訪ねた。
「蜘蛛さね。」
「蜘蛛……ですか。」
それを聞いて、後方で息を切らしていたリーシャは、うっと顔をしかめた。
いつも無表情なマイアも、心なしか嫌そうな顔をしている。
「たしか、オオハガネグモとかいったかね。やたらと固い蜘蛛の魔物だよ。ま、それの特別大きなやつさね。」
「それは……厄介、ですね。」
エトも思わず苦い顔をした。
冒険者としていろいろな魔物に遭遇してきたとはいえ、正直、巨大な蜘蛛など見たいものではない。
しかもこんな視界の悪い森の中だ。オバケの方が、まだ可愛げがあるかもしれない。
「まあ、万が一封印が解けていたとしても、アンタたちは自分の身を守ることに集中しな。アタシが、何とかするさね。」
シスターはそう言って、にっと笑った。
――大きな蜘蛛。
確かに、表現としては間違ってない。
だが、実際に対峙してみると、その威圧感は想像を遥かに超えていた。
黒光りする巨大な体、不気味に光る赤い目。
中心から突き出た八本の足は、それだけでも武器になりそうなほど鋭利な棘を携えている。
そしてその巨体はあろうことか、頭上に張り巡らされた糸の上を、音もなく移動していた。
巨大な物体が頭上を動いているという事実は、それだけで純粋な恐怖だった。
「……っ、シロちゃん!」
「キュイ!」
エトが合図すると、シロが刀身に飛び込む。
すでに幾度か見たとはいえ、未だに不思議な光景だ。
その掛け声で気を取り戻したリーシャも、すぐに杖を構えた。
「エト! 足場の糸を、なるべく切って! マイア、その間、矢であいつの気を逸らして!」
「うん、わかった!」
「了解したのです。」
相手が蜘蛛であることは、あらかじめわかっていたことだ。
フィールドは、エトにとっては得意な森。
糸さえ切って地面に落としてしまえば、後は何とでもなる。
リーシャはそう考えていたが、すぐに見通しが甘かったことを思い知らされた。
「……あっ?!」
「?!」
いつも通り木々を蹴って移動しようとしたエトは、空中で突然バランスを崩し、そのまま地面に落ちた。
「エト! どうしたの?!」
「ご、ごめん……! これ……」
「!」
エトは足についた、キラキラ光るものを取り上げた。
魔物の、糸だ。
「切れないほどじゃ、ないんだけど……結構、頑丈みたい。」
「……なるほど、厄介ね……」
リーシャは思わず顔をしかめた。
この悪天候の中、この細い糸を見て避けるのは不可能に近い。
重戦士が突進するなら問題は無いだろうが、エトのような繊細な動きは、これだけで封じられてしまう。
炎の魔法で燃やしてしまいたいが、雨天では大した威力が出せない。
更にこの天候は、マイアにも悪影響を与えているようだった。
「すみません、リーシャ……こっちも、この風だと、うまく当たりません……!」
矢の多くは足の間をすり抜け、当たったものも、硬いからにはじかれてしまう。
そもそも、弓は上を狙うのに向いていない。この暴風雨との組み合わせで、そのデメリットは更に大きくなっていた。
ダメージを与えるためには節や殻の間を狙わねばならないだろうが、この状況で望めるべくもない。
――ならば。
「エト……あれ、できる?」
「!……うん、やってみる。」
リーシャは魔物ではなく、近くの大きな木の間に杖を向けた。
「行くわよ、『ウィンドカッター』!」
風の刃が走り、木の間を滑りぬける。
薄明かりに照らされて、切れた糸がキラキラとなびいた。
「エト!」
「うんっ!」
糸のなくなった枝の間を蹴って、エトは自身の体を空中へと持ち上げた。
瞬く間に蜘蛛と同じ高さまで並ぶと、エトは跳躍の反動をそのままに、横なぎに剣を構えた。
蜘蛛の顔が、キリリとエトの方を向く。
「行くよ、シロちゃん……!」
エトの大剣に、青白い雷光が走る。
「――『ライトニング』!!」
振り抜かれた刀身から、雷撃が放たれる。
それは斬撃の余波となり、魔物の体を貫いた。
ギィイイイ! と、耳障りな悲鳴が響く。
大蜘蛛は体をのけぞらせ、足をガタガタと動かした。
「やった……?!」
「いえ……っ!」
すぐにその足の一本が、エトに向けて振り下ろされた。
エトは咄嗟に大剣で防いだが、そのまま地面に叩き落されてしまった。
「あくっ……!」
「エト!!」
二人が駆け寄り、即座にマイアが治癒魔法をかける。
「どうして……!」
「あの甲殻と、糸です……! 電撃を体の表面に、そして糸に流して、無効化してるのです。」
マイアは『目』を使い、魔力の流れを読んでいた。
リーシャは爪を噛み、再び魔物を見上げた。
風は出力が足りない。炎は使えない。矢は狙えない。
頼みの雷も、効かない。
「こんなの、どうしたら――」
「いいや? 十分さね。」
リーシャの言葉を遮って、シスターが歩み出た。
「よく、これだけ時間を稼いでくれたよ。」
「……?!」
マイアが目を見開き、思わず一歩後ずさる。
同時にリーシャも、言葉を失った。
その手に持った杖は、蒸気の様に立ち昇る青い光を纏っており、特に先端にあしらわれた宝玉は、爆発するのではないかというほど強い光を放っていた。
それを見てか、蜘蛛の魔物は即座に身をひるがえし、跳躍の姿勢をとった。
シスターは、にやりと口元をゆがめた。
「逃がしゃしないよ――『テンペスト』!」
そう唱えるや否や、足元の全ての風が、まるで竜巻のように起き上がった。
かと思うと、その複数の渦は頭上で収斂し、槍の如き鋭利な切っ先を作り出した。
そしてその暴風の槍は、シスターの杖の一振りとシンクロするように、蜘蛛の胴体を貫いた。
「これが……シスターの、魔法……」
リーシャは、初めて見るシスター・マーガレットの魔法に、静かに息を飲んだ。
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