第41話 正しいこと②

「荷物には……まだ、手は付けてない。……返すよ。」


 リオはそういって、食料の入った箱を目で示した。


 自分が犯人だと宣言した後に、わざわざ嘘をつくとも思えない。

 たぶん、本当に荷物は無事なのだろう。


 でも、それほど時間がなかったとはいえ、食べ物に手を出さなかったのは少し不思議だ。

 もしかすると、盗んだものを食べていいのか――いや、食べさせていいのか、最後まで悩んでいたのかもしれない。


 リーシャが何も言わないでいると――正確には、何を言えばいいのか分からなくなっていたのだが――そのままリオは、ゆっくりと目の前まで歩み寄ってきた。


「別に、それでチャラだなんて思ってない。俺を連れてってくれ。ただ、本当にこいつらは関係ないんだ。」


 リオは続けて何か言おうとしたが、その言葉を飲み込むように口を閉じた。

 そして代わりに、一言だけ口にした。


「……頼むよ。」


 それは、あまりにも真っ直ぐな目だった。

 思わず、自分のほうが、目をそらしたくなるような。



 ふと、スゥが後ろから、服を軽く引っ張った。


「あ、あの~……リーシャ? その、反省してるみたいだし……もう……。」

「うん、リーシャちゃん、なんて言うか……えーっと……。」


 エトも、おずおずと口を出す。


 ……まったく、これじゃ私が悪者みたいじゃないの。

 やりにくいったらないわ。


「あー、もう。……分かったわよ。」


 リーシャは、大きく息を吐いた。


 周囲の子供たちの、縋るような視線が刺さる。

 この子たちを見て、今更、懲らしめてやりたいなんて気持ちがわくはずもない。


「今回は、見なかったことにするわ。その箱も、好きにしなさい。でも、次はないからね。」

「……!」


 子供たちの表情が、ぱあと明るくなるのを感じる。


 複雑な心境だ。

 この行いが、本当にこの子たちのためになるのかは、正直わからない。

 でも、リーシャにはもう、彼らを責めることはできなかった。


「あ――」


 何とも言えない表情で、リオが口を開こうとした――その時だった。



「ああ、探しましたよ! 私の子らよ……!!」

「……?!」


 背後からの大きな声に、三人は驚いて振り返った。


 そこには、神父のような姿をした、背が高く、非常に恰幅の良い……つまり、全体的に妙に大きな老人が、一人立っていた。

 怪我をしているのか、顔の右側は刺繍のされた布で覆われており、片手にはランタンを、もう片手には大きな杖のようなものを持っている。



「……大司教……様……。」


 そのリオの声は、先ほどまでとは、どこか違うように聞こえた。


 大司教と呼ばれたその老人は、すこし窮屈そうに入口を抜け、家の中へと入ると、真っ先に子供たちに歩み寄った。


「こんなに汚れてしまって……。さあ、教会に帰りましょう。皆、心配していますよ。」

「……。」


 リオは、黙ってうつむいた。


 やり取りから察するに、この子たちは『教会』で育てられている孤児で、家出のようなことをしていたのだろう。

 それを心配して、探しに来たのだ。


 老人の口調は優しそうで、嘘や悪意は感じられなかった。


 ……でも、何か。

 何か、違和感があるような……。



「ところで、あなた方は……もしかしてこの子らが、何かご迷惑をおかけしたでしょうか?」

「え。あ……。」


 考え込んでいると、彼は自分たちの方に向き直り、少し不安げに尋ねた。

 咄嗟のことで、どう返そうか、少しどもる。


「—―食べ物を!!」


 それにかぶせるように、リオが叫んだ。


「……食べ物を、恵んでくれたんだ。……だから、お礼を言ってた。」

「えっ、な……むぐ。」


 反論しようとするスゥの口を、手で止める。


「おお、そうだったのですね。何とお礼を言ってよいか……。」

「……いえ、気にしないでください。馬車を待たせてしまっているので、私たちは、もう行きますね。」

「むぐむぐ。」


 そのままスゥを連れて、家を出る。

 エトも軽く会釈して、それに続いた。


「――お待ちなさい。」


 先ほどとは少し違う、威圧感のある声。

 三人は反射的に、足を止めた。


「『黒い魔石』に、心当たりはありませんか。」

「……?」


 その問いは、三人に、というよりも、一番手前に居た一人――エトに対して、投げかけられたもののように感じた。

 エトと目が合い、お互い首を傾げる。


「いえ、とくには……無いと思います。」


 エトがそう答えると、その老人は、一瞬考えるような仕草をして、杖に目をやると、すぐに笑顔に戻った。


「そうでしたか。私の思い過ごしだったようです。あなた方に、聖竜の加護があらんことを……。」


 その声は、優しいものに戻っていた。



+++



「ちょ、ちょっとリーシャ、どうして言わなかったのだ!」

「ああ……うん……。」


 家から十分に離れてから、スゥは耐えかねた様子で、そう聞いてきた。


 普通に考えれば、先ほどの老人は、子供たちの保護者のようなもの。

 事実を正しく伝えるのが、お互いのために最も良いことのはずだ。


 それでも、そうしなかったのは――。


「目が……合ったのよ。」

「目……?」


 あの瞬間、リオは、老人ではなくリーシャの方を見て叫んでいた。

 そしてその目は、まるで何かを懇願するような、縋りつくような目だった。


 単純に見れば、子供の、怒られたくないが為の、シンプルな嘘。


 しかし、他の子を守るために、『自分を突き出せ』とまで言ったあの子が、今更そんなことをするものだろうか。



 目を閉じると、あの目が、脳裏に浮かんでくる。

 自分は……正しい選択をしたのだろうか?


 その問いは、リーシャの心に棘のように刺さって、消えなかった。

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