第9話 封印の決壊

 ――魔力の、気配。


 それが引き金になって、ロルフはようやく、地下室のことを思い出した。

 顔中から血の気が引く。


「エト!!」


 すぐに扉を跳ねのけ、名前を叫ぶ。

 しかし、返事はない。


 ロルフはすぐに倉庫へと駆けだした。



 この家の地下には、Sランクに分類される強大な魔物――『黒竜』が封印されている。


 なぜそんなものが家に、という疑問はごもっともだが、実は事実関係が逆で、封印を隠すためにこの家が建てられたらしいのだ。


 強大な魔物は、それを討伐した際、周囲に瘴気を残してしまう場合がある。

 魔物自体を倒しても、その瘴気が大量の魔物を呼び寄せてしまっては本末転倒だ。

 今でこそ瘴気を浄化する方法が確立されているが、この黒竜が討伐された時代はそうではなかった。

 そこで完全に殺さず、特殊な剣に封印したのだ。


 もちろん、封印しただけでは、いつか復活してしまう恐れがある。

 そこで当時の魔導士たちが編み出したのが、剣に封じられた黒竜自身の魔力を使って魔法陣を起動させ、剣の魔力を浄化し、周囲に発散する――という、画期的な方法だった。


 しかし、この方法にも問題があった。

 黒竜は常軌を逸した魔力を持っており、完全に消耗させるには、数十年の月日が必要だった。

 その間この封印を隠し、見守るのが、この屋敷の役割だったのだ。



「――っ!」


 倉庫の扉は開いていた。

 中に視線を滑らせると、やはり、封印の地下室へと繋がる扉も開いてしまっている。


 何も考えず、エトに倉庫の鍵を渡してしまった自分の迂闊さが呪わしい。



 この家をもらい受ける前――この封印は一度、崩壊しそうになったことがある。


 原因は単純で、封印の剣の整備不良だった。

 剣が錆びたりカビたりしていることで、魔法陣への魔力供給が不安定になっていたのだ。


 整備を終えると封印は再び安定を取り戻し、それ以降、問題が起こることはなかった。

 だからこそ、整備は完璧で、あとは黒竜の魔力が底をつくのを、ただ待てばいい――そう楽観的に考えてしまっていた。



 Sランクの魔物に、何を慢心していたのだ。


 ロルフは下唇を噛み締めた。

 もし黒竜が復活してしまったら、たとえ魔力の放出で弱っていたとしても、勝ち目があるとは思えない。

 しかし、だからといって、エトを見捨てるような真似ができるはずもない。


「頼む……無事でいてくれ……!」


 ロルフは自分の体を突き落とすように、地下室への扉に飛び込んだ。



+++



 気が付くと、そこは真っ暗な世界だった。


 何も見えない。

 何も聞こえない。


 ずっと遠くまで、闇だけが広がっていた。


「ここ……どこだろ……?」


 エトは少し考えて、足を一歩前に出した。


 一歩。また、一歩。


 何も見えないので、進んでいるのかは分からない。

 ただ、なんとなく、進むべきだと思った。


 何かが自分のことを待っているような――そんな気がした。



「……そこに、いるの?」


 しばらく歩いて、エトは足を止めた。


 目はやはり見えないし、耳にも何も聞こえない。

 でも、何かがそこにいるとを、エトは感じていた。



「寂しいの? ……こんなに、真っ暗だもんね。」


 それは、酷く怯えていた。

 なぜかは分からないけど、そう思った。



「――――。」


 何かが、心の中に響く。

 すごく、すごく、悲しそうな、音。


 暗くて、寂しくて、怖くて、なにも分からない……そんな、音。



 ――ああ、そうか。


 この暗闇は、この子の心なんだ。

 この子はずっと、自分に怯え続けてるんだ。



 ……なんだか、ちょっと前の私に、似てるかも。


 エトは、くすっと笑った。

 こんな暗闇の中でも、不思議と怖くはなかった。


 ちょっと前の自分なら、きっと怖かった。

 怖くて怖くて、歩き出すことなんて、とてもできなかった。



 ……だから。きっと、この子も、そうなんだ。


 エトはゆっくりと両手を前に差し出した。


「大丈夫だよ。あなたは……」


 暗闇の中に、あの人の顔が浮かぶ。

 夕日に包まれて、燃えるように輝く、優しい笑顔が。


 エトは微笑んで、目の前の闇を、抱きしめた。


「……あなたは、ダメじゃないよ。」



+++



 ドスンと鈍い音をたてて、ロルフの体は土の地面に落下した。

 体に激痛が走るが、今はそれどころではない。

 よろめきながら立ち上がる。


 地下室には、魔力によると思われる霧が発生し、充満していた。

 そのせいで視界が非常に悪い。


 封印はどうなっている。黒竜は。

 なにより、エトは――!



「えっ、ちょっ、ロルフさん?! 大丈夫ですか?!」

「なっ……?」


 予想に反し、先に駆け寄ってきたのは、エトのほうだった。

 無事であることに一瞬安堵するも、霧の中から出てきたその姿を見て、ロルフは言葉を失った。


「今、完全に落ちて来ましたよね?! どこか、怪我とか――」

「え、エト、それ……は……?」

「……え?」


 ロルフの震える指先にを目で追い、エトは自分の体を見下ろした。


 足元には、抜け落ちて地面に転がった、大剣。

 そして、その胸には――



「キュゥ?」


 小さな白い竜が、抱かれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る