第192話 おっかなびっくりの新吉原で遣手婆に脅される
炎天下に三角の禿頭を光らせた心太売りは、天突きで器用に寒天を突き出しながら清麿を野卑な口調でからかい、「お生憎さま。かような人相にはとんと縁がねえな。姐さんのこれかい?」ぐいっと親指を突き立てる仕草に、ぞっとするほど品がない。
――これとは、拙者を指すのか?
覗き見ていた涼馬は、おぞましさに目を背ける。
ほかにも青物売り、古着屋、提灯の張替屋、臼の目立屋など手当たり次第の棒手振に当たってみたが、迫真の似顔絵に関心を示す者はただの一人も見当たらなかった。
見きりを付けた涼馬夫妻は、足を延ばして浅草寺の裏手の新吉原に向かった。
三百軒近い妓楼が軒を並べる中心通りには、季節を先取りした薄や萩、荻、吾亦紅など秋の草花の大鉢が飾られ、遊里独特の猥雑な雰囲気に雅な華やぎを添えている。
かような場所では涼馬の出番だった。
登楼する客が顔隠し用の傘を借りる編傘茶屋の付近で、まごまごしていた涼馬は、
「さあ、早く行った行った。男は度胸だろう」清麿に、どんと背中を押し出された。
初めての新吉原を、びくびくしながら歩いて行くと、
「ちょいと、そこなる男前の旦那。取って置きのいい妓がいるよ。このあたしが太鼓判を押すんだ、間違いはない。男冥利に尽きる、愉快な思いをさせてやるからさあ、わるいことは言わぬよ、騙されたと思って、ちょいと上がってお行きなってばさあ」
安酒と煙草で潰した嗄れ声の迫力に圧倒された涼馬が、
「いや、あのその、今日は尋ね人で参ったのじゃが……」
へどもどしながら見せた清麿筆の似顔絵を、横目で、じろっと睨んだ遣手婆は、
「あたしゃあね、呼びこみで飯を食ってるんだ。一銭にもならぬ仕儀の相手なんざ、まっぴらごめんだよ。第一、ここには、わんさか男衆が集まって来るんだよ。姿形の似た男なんざあ掃いて捨てるほどいる。下手な似顔絵なんざ何の足しにもならぬわ」
ぴしゃりと決めつけると、ぽんと音を立てて、脂臭い煙管を煙草盆に叩きつけた。
這う這うの体で逃げ出した涼馬は、編傘茶屋の横で待つ清麿のもとに逃げ帰った。
「まったくだらしないねえ。その程度で怖気づいてどうするのさ。ああじれったい。代わって、わたしが行きたいけど、ここばかりは女人禁制だろう。無理矢理、乗りこんでみても、放り出されるのが関の山だ。さあ、勇気を出して、再度、挑戦だよ」
威勢よく清麿に尻を叩かれ、涼馬は尾を垂らした犬のごとく、遊里へ彷徨い出た。
勇を鼓して何軒か当たってみたが、何処でも同様な扱いを受けた。
なかで一軒「客商売に縁起がわるいぞ」と塩を撒かれそうになったのが、かえって涼馬の負けじ魂を呼び起こしたが、その後も、尋ね人の収穫は空振りに終わった。
それではというので、翌日から作戦を変えてみた。
うわさ好きな女衆が集う長屋の井戸端や、人の集まりそうな小芝居、寄席、寺社の縁日などを片端から訪ね歩いたが、残念ながらはかばかしい成果は上がらなかった。
東は本所から西は千駄ヶ谷まで、下谷、日本橋、八丁堀、京橋、築地、麻布、永田町、麹町、番町、飯田町、小川町、北郷、上野、小石川、牛込、市谷、四谷、青山と江戸中の町を隈なく歩きまわったが、ことごとく徒労に終わった。
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