第191話 兄・徹之助の仇討ちのため刺客探しに行く



 8月3日。

 気持ちを入れ替えた涼馬夫妻は、兄・徹之助の仇討ちを果たすべく刺客探しを開始した。といっても手がかりは、ちらりと見ただけの鋭い眼光のみの心許なさだった。


 ――この広大なお江戸で、如何様に探したらよいものやら……。


 怖気づきながら、江戸城侵入不発の意気ごみをそっくり刺客探しに転じた涼馬夫妻がまず思い付いたのは、かつて大奥の御祐筆だった端渓の現商売、読売売りだった。


 仕事柄、数多の顔を見知っているはずだ。

 夫妻はさっそく下谷の長屋に端渓を訪ねた。


「懲りもせず、また来たのかい」

 面倒くさげに横を向く端渓に、

「お忙しいところ、申し訳ござりませぬ。本日は別件でご相談に伺いました」

 すかさず清麿がふところから自身の筆になる刺客の似顔絵を取り出して見せた。


 柿色の覆面で顔を隠し、鋭い目だけ覗かせた悪相が迫力満点に描かれている。

「先日、不忍池に現れた刺客の棟梁ですが、人相にご記憶はおありですか?」


 逸り立つ期待を隠して涼馬が訊ねると、

「いや、ない」端渓は素気なく答えた。


 木で鼻を括ったが如き言辞に涼馬も清麿も大いに落胆した。

 二人の悄気っぷりを見た端渓は、気の毒そうに告げ直した。


「これから気を付けておこう。朋輩にも訊いてやる。その絵を預からせてくれぬか」

 涼馬と清麿は「ありがとうございます」と礼を述べ、清麿入魂の似顔絵を預けた。


 一応の手は打った。

 だが、刺客探しに無制限な時間が許されようはずもない。


 つぎに目星を付けた探索先は屋敷を巡って小商いをする小間物の行商で、武家屋敷に入った小間物屋が出て来るところを見計らい、次々に似顔絵を見せてまわった。

 しかし、何十人に訊いても、どの行商人からも芳しい返事は聞き出せなかった。


 焦った夫妻は、刺客が化けそうな町人を手当たり次第に当たって廻ることにした。

 まずは身近からとさっそく実行してみたのは、宿泊先の内藤家の下屋敷がある深川界隈で、冷や水や心太ところてんを売り歩く季寄せ(夏場限定)の棒手振ぼてふり(行商人)だった。


 若いのから年寄りまで、男を籠絡させるのは清麿に限ることは言うまでもない。

 涼馬が物かげから見ていると、清麿は品を作って天秤棒担ぎに近付いて行った。


「おじさん、暑いなか精が出るわねえ。美味しそうな白玉入りの冷や水はお幾ら?」

 婀娜あだっぽく声をかけると、この暑いのに無精髭を生やした中年男は、

「本当は六文だがね、別嬪の姐さんだから、特別に五文におまけしとくよ」

 四文の相場を知らぬと侮り、いきなり高く吹っかけて来た。


「やだ、うれしい。ところで、おじさん、かような男を見かけた記憶はないかえ?」

 嬌声を挙げながら清麿が取り出したのは、自身が描いた刺客の似顔絵である。


 見る者を射抜くような悪相に、気の弱そうな中年男は慌てて首を横に振り、

「滅相もねえ。かように強面の御仁は、一度も見た事実も会った記憶もねえよ。それよか、姐さん、冷や水、ふたつ買うておくれよ。特別に九文におまけしとくよ」

 適当にあしらった清麿は、つぎの標的に向かう。

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