第190話 天英院に操られた月光院の江島始末の企み




 だが、出郷の経緯はともかくとして、はるばる高遠から江戸に出来して以来、懸案の絵島生島事件の解明ひと筋に突っ走って来た涼馬と清麿である。八合目まで上った梯子をいきなり外されたような、宙ぶらりんな気持ちの持って行き場がなかった。


「もとより、多少の艱難辛苦は覚悟のうえだったのでござりますが……」

 たらたらな未練を口にせずにおられぬ涼馬に、清麿も忙しく顎を動かす。


 そんな若い二人の情熱を持て余した七三郎は、

「どうしてもと申すなら止めはせぬ。その代わり、二度と生きて出ては来られぬどころか、八つ裂きにされた遺骸さえ、地の底まで届くと畏怖される大奥の秘密の井戸に投げ捨てられるやも知れぬ……きっとそうなる、さような覚悟で乗りこむことじゃ」


 敢えて冷淡に告げると、累々と白骨が積み重なった井戸の底を見たかのように顔をしかめてみせた。七三郎の怖気が伝染した涼馬夫妻も、ぶるっと身体を震わせる。


「仰せの儀、相承知仕りました」

 神妙に答える涼馬と清麿に、七三郎は独り言のごとき口調で語り添えた。


「これはわしの推論じゃがな、月光院さまは、すべてをご存知の絵島さまが目障りになられたのではあるまいか。ゆえに、ご自分の代参の帰路、門限にわずか遅れただけの些事を、かげでことさらに煽り立て、この際、都合のわるい事実を知られている者ども共々、絵島さまを永遠に葬り去ろうとなさった……」


「はは、御意にござります」

「はい、相違ございませぬ」

 涼馬夫妻にも異論はない。


「さらに申せば、月光院さまの背後で操っておられたのが、先々代の公方さまの御台所・天英院さまであられた。隠密を遣って動かぬ証拠を握られていた月光院さまは、天英院さまの言い成りになるしかなかった。それが、事件後、犬猿の仲のはずだったお二方が急速に接近された由縁じゃ」


 刺客を放って、高遠に幽閉した絵島さまのお命を狙い、その絵島さまをお援けするわれらの行く手を阻もうとしたのも、すべては月光院さまの保身のためだったのだ。

 涼馬と清麿は、あらためて納得の顔を見合わせる。


 ならば、せめて亡き兄上・徹之助の仇討を果たさずにおくものか。絵島さまの今後の安全のためにも、必ず剣呑な刺客を仕留め、帰郷の折りの手土産にせねばならぬ。


 趣向を凝らした庭園に虫がすだくには早い。

 夏と秋の狭間の夜は、音もなく更けてゆく。

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