第187話 江島との真実を吐露する生島新五郎
元役者でありながら、内心の動揺を隠す術も見つからぬ風で、
「なに?! 高遠だとな。すると……すると、絵島さまの……」
喘ぐように問うので、涼馬は短く答える。
「絵島さまが幽閉されている城下でございます」
老人は赤くなったり青くなったり、肩を震わせたり、拳を握ったり、地団駄を踏むように擦り切れた藁草履を打ち付けたりして、胸中を吹き荒れる嵐と格闘している。
人間がここまで苦悶する場面を初めて見た。
涼馬も清麿も、同時に同じことを思った。
惑乱の時を経て、つと顔を上げた老人は、昂然と告げて来た。
「で、わたしを生島新五郎と承知で、はるばる海を越えて訪ねて来られたのじゃな」
朗々とした発声は、さすがである。
涼馬も皺に埋もれた目を正面から見て、
「さようにございます、生島新五郎さま」
この男が、絵島さまを苦悶の渦中に陥れた張本人かと思えば複雑な心境だった。
――この色事師め!
思いきり荒々しく罵ってやりたいような……。
絵島さまの前半生に華やぎをもたらせてくれたことに感謝したいような……。
生島新五郎は肚を括ったらしい。
「で、如何様な用向きであるか」
妙に白々と訊ねて来る。
横から清麿が助太刀してくれた。
「率直に伺いますが、世に喧伝されるご情事はおありになったのでございますか」
果たして、新五郎はむっとした表情で清麿を見遣り、
「見知らぬ者のかようなぶしつけに、何故に答えねばならぬ」
「お怒りはごもっともにござります。なれど、あたしたちは何も旧悪を、あ、ごめんなさいね、言われるような悪事があったと仮定しての話ではございますが、いまさら古い出来事を蒸し返してどうこうしようという訳ではないのでございます。むしろ、絵島さまと……ええっと、そちらさまのご名誉を何とか回復できないものかと……」
新五郎は世にも奇妙なものに出くわしたような顔をした。
「なに、名誉の回復だと? 馬鹿馬鹿しい、さような奇跡が起こるはずがあろうか」
ぷいとそっぽを向いた横顔に、絵に描きたいような粋な風情がある。
「いえね、国許で絵島さまにお仕えするうち、いろいろと疑念が生じて参りまして」
清麿が寸止めすると、新五郎は「ん? 如何様な?」たやすく釣られて来た。
「例えをひとつ上げるとすれば、こちらさまとの不義密通を巡る真実でございます」
しれっと述べ立てる清麿に、新五郎は素直な呆れ声を発した。
「あのなあ、お若いの。本人を前にして、平然と告げられるものかよ? ふつうは」
「申し訳ございません。こいつは生来の呆けなものですから、まことにご無礼をば」
清麿を叱りつけながら涼馬が取り成すと、新五郎はすぐに機嫌を直し、
「申しておくが、情事だか不義密通だか知らぬが、わたしと絵島さまの間には断じてさような事実はなかった。いや、たとえ、わたしが望んでも絶対にあり得なかった」
「それはまた如何様な訳で?」
懲りもせずに清麿が問うと、新五郎は鼻先で嗤って、
「絵島さまには生涯を誓い合った許嫁がおられた。相思相愛のふたりを引き離されたのが月光院さまじゃ。男勝りのご器量を見こまれた月光院さまは半ば強引に絵島さまを侍女にと指名されたのじゃ」
「まあ、さような事情がおありになったのでございますか。今まで聞いていたお話とは微妙に異なるようでござります。まこと人の口はいい加減なものでござりますね」
「ゆえに、絵島さまは、以後、如何様な男にも心を寄せられなんだ。まして、たかが役者風情が本気で相手にしてもらえようはずもない。気心の通う者同士ゆえ親しくはさせていただいておったが……傍目に如何様に映ろうと、それが紛れもない真実だ。本人のわたしが申すのだから間違いはない」
涼馬と清麿は、言い知れぬ感懐に打たれた。
のんびりした山羊の鳴き声が聞こえて来る。
見渡す限り熔岩台地の島で、山羊の乳と肉は、過酷な環境の貴重な栄養源であり、その人懐こい性格は、流された人たちの無上の慰めとなっているものと思われた。
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