第186話 茅葺の茅屋住まいの生島新五郎は老人になって



 生島新五郎の庵は、伊ヶ谷港から遠くない場所にあった。

 茅葺の茅屋で、大和の人間が住まう所とはとうてい……。


 恐る恐る近寄ると、内部から低い唄声が聞こえて来たので、思わず足を止める。


 ――拙者、親方と申すは、お立ち相にも先立って、ご存知の方もござりましょう。お江戸を発って廿里かみがた、相州・小田原一色町をお過ぎなされ、青物町を登りへお出でなされるばらん、かんばしとらや藤右衛門ぐはんようより大晦日おおつごもりまで……。


 聞けば、唄ではなく、歌舞伎芝居の「外郎ういろう売り」の長台詞である。


 ――昔、ちんの国の唐人とうじん、外郎と申す者、わがちょうに来たり……。


 下谷の師匠に仕こまれた清麿が口三味線を合わせると、内部の声が、ふと止んだ。

 粗末な戸から顔を覗かせたのは、白髪も髭も伸ばし放題の痩身短躯の老人だった。


「どなたかな」

 問う声音は、見かけを裏ぎって艶めいている。


「ぶしつけに申し訳ござりませぬ。江戸から参りました星野涼馬と妻にございます」

 涼馬の挨拶に、老人は洞穴のごとく落ち窪んだ目を異様なほどに輝かせた。


「ほう、江戸からとな。これは珍しい客人だ。して、近頃の江戸は如何様かな。海鳥のうわさによれば、有章院さまがご早逝され紀州卿さまの御代と聞いておるが……」

 とつぜんの訪問を訝しがるより先に、息せききって訊ねて来る。


「何もかも昔とは変わってしまったと、江戸雀がうわさしております」

 老人はわずかな語彙のズレを聞き咎め、

「むむ? そなたたち、江戸の者ではないのか」

「申し遅れました。信濃は高遠の産にござります」


 と、皺ばんだ老人の頬を一閃の稲妻が走った。

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