第142話 元大奥の中臈を訪ね奇妙な夫婦の珍道中



 7月15日寅の刻。

 彼誰時かわたれどきの薄闇に紛れ、涼馬夫妻は深川の下屋敷を出立した。


 若旦那風の涼馬は二つ折り髷を結い、御召茶おめしちゃの染め抜き小紋の小袖に、伽羅きゃら色の紙子かみこの羽織を重ねている。丸髷の清麿は、甚三紅じんざもみ色の小紋に、若紫色の前垂れを掛けている。二人とも、どこにでもいそうな町人に化けおおせていた。


「今年はことのほか残暑がきびしいってえのに、輝夜姫かぐやひめみてえな紙子の羽織なんぞ着せられちゃあ、そのうちに、おいら、赤飯のごとく蒸し上がっちまうぜ」

「おまえさん、ちっとは我慢しておくれな。それもこれも、一見いちげんの見場をよくするためじゃないかね。取っかかりさえ上手く掴めば、あとは続々と芋蔓式に証言者が釣られてくれるってえ寸法だよ」


 夫の涼馬がこぼせば妻の清麿が宥める。

 まさに夫唱婦随、似合いの夫婦である。


 七三郎の助言を得た二人が、絵島生島事件の隠密探索の第一弾として狙いを定めたのは、浅草の木賃宿の後妻に収まっている、元大奥の中臈ちゅうろう坂城さかきだった。


「ご中臈っちゅうのは、将軍や御台所のお側近くでお世話をするお役目なんだろう。してみれば、大奥の内でも、相当に高いご身分の方だったんだろうな」

「でしょうね。でも、将軍さまのご寵愛が格別に深かったとは申せ、ご側室の月光院さま付きでいらした坂城さんのお立場は、少々微妙だったかも知れませんよ」


 浅草への道々、夫婦は四方山話を装いつつ、情報の共有に努めていた。

 一般的な夫婦に比すれば、夫よりも妻のほうが厳つい感じは否めぬが、蚤の夫婦と思えば思えぬでもない。どことなく不安定な印象が妖しげな魅力にもなっている。


「将軍さまのご側室は、ふつう、ご自身付きのご中臈からお選びになります。でも、稀に、御台所さま付きのご中臈がお目に止まる場合があるそうにござりますよ」


 大真面目に清麿が語るので、涼馬は一笑に付してやった。

「それはそうであろう、女の好みに所属など関係ないわい」

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