第141話 横笛と演舞と襖絵の競演で前祝い
一座の合意を得た七三郎は話を進めた。
「弥太郎殿にもお話ししたとおり、これなる涼馬夫妻は世に絵島生島事件と言われる一件に疑義を抱いておる。というのも、つい最近まで涼馬は国許で絵島さまをお守りする花畑衆を務め、絵島さまのお人柄に薫陶を受けたからじゃ。な、そうだったな」
問われた涼馬は「さようにござります」と答えて、真っ直ぐに背筋を伸ばす。いつの頃からか、絵島さまのお名前が出ると威儀を正さずにいられぬようになっている。
「で、
言い置いて言葉を区切った七三郎は、じろっと弥太郎を見た。
「断るまでもないが、国許の筆頭家老の意、すなわち、わが殿さまの御内意である」
「相、承知仕り候」
古式に答えた弥太郎は、鋼入り筋肉のような肉体を、畳に平べったく擦りつけた。
「ついては、江戸在住のそなたら御土居下同心衆に、ぜひともご助力を、願いたい。内々に権中納言さまのご了承も賜っておる。ここだけの話、むしろわが方からお願いしたいくらいじゃと、かように仰せになったと伺っておる。御胸中を御拝察すれば、無理もござらぬが……」威厳と情味の二刀流で、七三郎は弥太郎に説いた。
奈辺の呼吸は、人誑しの異名を取る養父の縫殿助さまに相通じておられる。
親子といえど、同じ空気を吸われた時間は皆無なのに……涼馬は感嘆した。
「まことに僭越ではございますが、われらの朋輩衆もただいまの御公儀のなされようには一家言ございますゆえ、みんな大いに勇んでお手伝いさせていただきましょう」
弥太郎は謹んで恭順の意を示した。
七三郎は大いに満足した様子で、ざっくばらんな口調に拍車をかける。
「さて、本題が首尾よく済んだところで、せっかくの機会じゃ。いずれ劣らぬ芸達者のそなたたちに贅沢な見物を所望したいのじゃが、如何であろう。弥太郎殿は卓抜な横笛の奏者、清麿殿は絵師、涼馬殿は演舞に長じておられるはず。宿願成就の前祝いに、三人で華麗な芸術の一幕を見せてはくれぬか」
――えっ、急に仰せられても……。
一瞬、怯んだのは涼馬だけで、
「もちろんでございますとも」
「面白きご趣向にございます」
弥太郎も清麿も即答した。
残暑のうちにも微かな涼気が忍び寄る家老室で、世にも珍しい出し物が始まった。
聴く者の魂の繊毛を撫でるがごとく、澄んだ音色を奏でるのは弥太郎。
雅な楽曲に合わせ、軽やかに、艶やかに、大胆な弧を描く舞姫は涼馬。
真新しい襖を与えられた清麿は、着流しに襷がけで絵筆を揮っている。
たったひとりの見物人である七三郎は、年代物の上等な美酒に酔うたごとく、端正な二皮まぶたを薄赤く染め、さも心地よさげな陶酔に身を任せている。
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