第134話 七三郎と深川の下屋敷へ向かうと……



 即断即決が信条らしい七三郎にしたがい、涼馬も深川の下屋敷へ急いだ。

 袴の裾捌きも軽いご家老の後を歩きながら、行き交う武士や町人の観察に忙しい。


 出府して来たばかりの涼馬の目には、男も女もこぞって垢抜けており、所作に無駄がなく、ぼやぼやしていれば啖呵でもきられそうなほどの威勢に映っている。


 上屋敷から道なりに8町ほど進むと、筋違御門すじかいごもんに至った。

 門は抜けずに神田川沿いに東進すると、半里ほどで大川(隅田川)に出た。


 かつては武蔵と下総の国境に当たった事実から名付けられたという両国橋を渡り、大川伝いに道なりに1里ほど南下すると、そこがもう内藤家の深川下屋敷だった。


 下屋敷は三十三間堂の東側に位置し、周囲は水路で囲まれている。

 鈍い日差しに物憂く垂れた柳の葉が、油のように淀んだ水面すれすれまで届いて、ふと思いついたように吹き過ぎる微風になびき、おいでおいでと手招きをしている。

 水底に引きこまれそうな気分になって、涼馬は思わず背筋に肌寒さを覚えた。


 涼馬の苦労も知らず、通された部屋でのんびり転寝うたたねを決めこんでいた清麿は、

「ご家老さまがお話があるそうにござります。拙者と一緒に奥の部屋へ参られよ」

 有無を言わさぬ涼馬に押しきられるようにして、不承不承ながら起き上がった。


「ご家老さまが、拙者にお話が? さてさて、なんのことか見当もつかぬが……」

 いつの間に着替えたのか、藍染めの浴衣を、ぞろりと、ゆるくまとっている。

 かつては限りなく慕わしく映じた粋な姿も、今の涼馬には苛立ちでしかない。


 ――かように派手な格好で屋敷内を歩かれたら、他人目についてならぬ。


 清麿殿は自分の立場をいかように考えておられるのか。

 国許を離れてやれやれと思ったのに、難儀な事態じゃ。

 


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