第131話 わわ、清麿が江戸まで追いかけて来ました~
6月20日未の刻。
涼馬は自室の障子の外に、ひそかな園の声を聞いた。
「涼馬さま。あの、ちょっと、よろしいでしょうか……」
他人目を憚る響きがある。
廊下へ出てみると、珍しくモジモジした園が、
「ええっと、あの、
着いたばかりの身に客人?
まったく心当たりがない。
「拙者に、ですか?」思わず確認口調になった涼馬に、仕事人としての矜恃を傷つけられたらしい園は、明らかに機嫌を損じた様子で、ぷうっと片えくぼを膨らませ、
「申し上げては何ですが、わたしに限って、聞き間違えなど、決してございませぬ。たしかに、星野涼馬さまをお呼びでございましたよ。何でしたら、ご自分で……」
「いや、さような訳では……。で、客人は何処におられますか」涼馬が恐縮すると、「こちらにございます」つんけんしながらも、園は先に立って案内してくれた。
玄関先へ出た涼馬は、「あっ!」大声を放った。
あろうことか、旅装束の清麿が手を振っている。
「やあ、涼馬殿。拙者も江戸へ出て参ったぞ。いや、正確に申せば、絵修業の古巣へ舞い戻ったのじゃが……。首尾よくそなたに出会え、まことにもって祝着至極じゃ」
呆れたことには、一向に悪びれた様子がない。
――この向こう見ずには、ほとほと呆れるわい。
このご仁、天然ものの能天気やも知れぬな。
涼馬は辟易したが、妙な顔をしている園の手前、なんとか取り繕わざるを得ぬ。
「おおおお、さようであった、さようであった。清麿殿の出府の儀、拙者としたことが迂闊にも失念しておりましたわ。いやあ、よくお越しくだされたな、清麿殿」
意外に筋肉質の腕を組んだ清麿は、涼馬の慌てぶりを面白そうに眺めている。
「申し遅れたが、お園殿。こちらは拙者の国許の、そのう……弓衆の同朋でな、神川清麿殿と申される。ご家老さまには拙者からご報告を申し上げるゆえ、ひとまずは、お屋敷へ上げてやってくれぬか。如何せん、ここでは他人目につくがゆえに……」
先刻の怒りの余韻を残す顔色をうかがいながら頼みこむと、
「承知仕りました。では、深川の下屋敷へ、お行きくだされ」
腑に落ち兼ねる事態をどう受け止めたのか、園は案外あっさりと承諾してくれた。
ほっとした涼馬は、無用な緊張を強いられた腹いせに、入口に突っ立って木漏れ日が淡い影を走らせる玄関を物珍しげに見まわしている清麿につっけんどんに告げる。
「では、清麿殿。お園殿のご厚意にあずかるがよろしかろう」
目顔で促された清麿は、園に向かってごく軽く頭を下げた。
案の定、感謝の足りない清麿に立腹した園は、立て板に水の言辞を浴びせかける。
「涼馬さまのお口利きゆえ、今回は特別にお取り計らい致すのですよ。ふつうなら、かように無礼な仕儀は通りませぬゆえ、奈辺のところ、どうぞお間違えのなきよう」
呆気に取られている清麿をつんと無視して、園は足音も荒く奥へ立ち去った。
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