第113話 江島と伊賀守……涼馬をめぐる物語の不思議



 弾んだ足取りで絵島囲み屋敷にもどった涼馬は、本日の日直の頭である棟梁の新田伊織に「ご家老がお呼びにござります」と告げた。何事かを察知したらしい伊織は、心得顔に花畑衆に言い含め、涼馬と絵島のふたりだけになるよう配慮してくれた。


 数人の足音が遠ざかるのを確認した涼馬は、廊下に膝を突き、絵島に声をかける。

「絵島さま、涼馬にござります。いささかお話させていただきたき儀が生じました」


「涼馬殿、障子を開けられよ」間髪を入れず、低く柔らかな絵島の声が返って来る。

 何度も水を潜った証しに色褪せた浴衣の絵島が、涼馬を真っ直ぐに凝視している。


 いつもの慈愛の微笑みが、かたちの整った卵型の頬から消えている。

 華奢な全身から、霊気のごときものが立ち昇っているように見える。


 廊下に手を突いた涼馬は、静かに口上を述べ始める。

「拙者、今日を限りに、花畑衆を退任させていただく儀と相なりました。短い期間ではござりましたが、物語のお相手を務めさせていただきましたこと、まことに光栄に存じました。星野涼馬、絵島さまから賜りましたご恩情のこと、生涯、忘れませぬ」


 深々と平伏した拍子に、巾着に包まれた「物語石」がふところから転がり出た。


 ――あっ! 


 思わず声をあげた絵島は、いたずらっぽい目顔で、それはなにかと問うて来る。


「じつは、お殿さまにも、絵島さまと同様に、物語のお相手を承っておりました」

「すりゃ、まことか!」

 自分と同じく、伊賀守が聴き手を涼馬に求めたとは、絵島には意外だったらしい。


参覲さんきんで江戸へ発たれる前、お守りとして、和田峠産の黒曜石をご下賜かしくださったのでござります。『物語石』と名付け、肌身はなさず持ち歩いております」


 絵島の細い喉仏が、ぐびりと動く。

「さようであったか。どうやらそなたは、特別な星の許に生まれついたようじゃな。そういえば、そなたの星野の姓もまた、野に数多の星が舞い降りたかのような……。高遠の地に永遠流ながのおんるになったわたくしが巡り会えたのも、星のお導きやも知れぬ」


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