第105話 あやまちを率直に認める江島の気風のよさ



「じゃがな、涼馬殿。つくづく人間とは弱いものよのう。半年、一年と重ねる内に、いつしか豪奢が当たり前になり、次第に不満すら抱くようになっていったのじゃわ」


 おのれが暗愚を嘲笑うがごとく、絵島は形のいい唇を歪める。

 一瞬、夜叉の形相が表われ、涼馬はぞくっと身体を震わせた。


「月光院さまご本人からして、ずいぶん変わられてしもうた。もとは町人の出でいらしたのだが、御世継ぎの有章院(家継)さまのご生母として、あれよあれよと言う間に大奥千人の頂点の座に上り詰められ、ご権勢をほしいままにされるように……」


 そこで絵島は、ふっと口を閉ざした。

 曰く言い難いものを抱えている証か。


「どんどん変わってゆかれる月光院さまをな、わたくしは、看過できなんだ。侍女の立場を超えた僭越は重々承知じゃった。だが、たとえ一方的にせよ、苦楽を共にした盟友ともお慕いする方への真摯な思いがな、わたくしの心身を支配していたのじゃ。根がお素直なだけに、簡単に染まってしまわれるお方をなんとかお救いしたい、と」


 ――さような事情が隠されておったのか。

   絵島さまの気質なら十分にあり得る。


 つぎに語られる言葉を涼馬は緊張して待ち構える。

 だが、案に相違して、絵島は弁解を述べなかった。


「さすがはご正室の天英院さまを凌ぐご側室と称されたお方じゃ。歯に衣着せぬわたくしの直言を、月光院さまは受け留めてくださった。でなければ、例の騒動のとき、幼い有章院さまに、絵島の罪を減じよと、命じさせてはくださらなかったはず……」


 涼馬の相槌を待たず、絵島の独り語りは、おのれへの侮りに移ってゆく。


「いや、偉そうに申すわたくしにしてから、化け物に変容していったのじゃ。千人の侍女団の長としてかしずかれ、出入りの呉服商や小間物商らからちやほやされる状態を自らの実力と錯覚してしもうた。まことにもって浅はかな、汗顔の至りじゃわい」


 夜具に正座した絵島の痛恨が、ほの暗い廊下の闇に匂い出て来る。

 何もかも包み隠さず吐露される威厳に涼馬は粛然と打たれていた。


 一方で、そうしていながらも、涼馬の胸を盛んに責め立てるものがあった。


 ――兄上は、世間から後ろ指を指されるような悪行を本当に働かれたのだろうか。


 陣内殿のお父上は早逝され、母上は女手ひとつで息子を育てられたと聞いている。

 年齢の差はあれど、いわば独身同士の男女が恋仲になって、どこがいけないのか。


 先刻までの呻吟をよそに、身内贔屓の情が鬱勃うつぼつと湧き起こって来ている。

 そんな自身の内側を、涼馬は珍しいものでも眺めるように観察していた。

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