第104話 江島の大奥語りを黙して拝聴する涼馬



 兄の秘事を聞かされ、己が尻尾を噛んでまわりつづける犬の如き心境に陥っていた涼馬に「今宵も寝そびれてしもうた。いやでなければ物語の相手を務めてくれぬか」障子の向こうから絵島がひそかな声を掛けて来たのは、丑三つ時を過ぎた頃だった。


 今宵の頭は飯島補佐だが、新田棟梁に申し渡されているのか、夜間の会話厳禁の掟破りを咎めようとせず、渋々ながら席を外した気配が、廊下の涼馬に伝わって来る。


「はい、喜んで務めさせていただきまする」

 障子を開けると、絵島は夜目にも艶やかな黒髪を華やかに背中に散らせていた。

 観音菩薩のような無私の微笑みに包まれると、涼馬の心はいつも安らぎを得る。


「運とでもいうのであろうかのう」

 長話のつづきのごとく唐突に切り出される絵島節にも、すっかり慣れて来た。


「文昭院(六代将軍家宣)さまのご寵愛を一身に受けられた月光院(阿喜世おきよ之方)さまが大奥に乗りこんで行かれたとき、わたくしたち侍女も一様に随喜の涙を流したものじゃ。むろん、大方は月光院さまのご栄誉のために、いくばくかは、己の立身出世のために、のう」


 絵島特有の、いささか自虐的な言辞も、涼馬はうつむいたまま聞き流している。

 当初のように「絵島さまに限ってさような……」といった類の世辞は口にせぬ。


 上滑りの対話を絵島は好まぬ。

 むしろ、きびしく拒んでいる。


「どこからどこまでと見当もつかぬほど広い江戸城の堂々たる佇まいや、惜しみなく金銀をあしらった豪華な調度品にいちいち驚いたり、感激し合ったりしてな、かような贅沢を味わわせてくださる月光院さまに、尊敬の念を新たにしたものじゃったわ」


「さようでござりましたか」

 涼馬の相槌は、低く、短い。

 

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