第103話 兄・徹之助が抱えていた秘密の暴露



 果たして、善良な百姓娘の口から語られたのは、まことに驚愕すべき事実だった。

「陣内さまのお母君がお亡くなりになったことは、ご存知でいらっしゃいますか?」


 ――いや、一向に知らぬ。

   第一、拙者は陣内殿の母君にお会いしたこともない。


「懐剣で喉を突かれ、ご自害なさったそうにござります」

 思ってもみなかった展開に、涼馬はぎょっと固まった。


 戦乱の昔ならともかく、御公儀の御代が長らくつづいているおかげで至って平穏な昨今、武士の女が自害するというのは、よほどの事情があっての事態と推測される。


「何故に、自害などなされたのじゃ」

 勢い、稲を問い詰める形になった。


「はぇ、そこでございます……」

 自分で話題を出しておきながら、稲は言い淀んだ。

 空豆の目がきょときょと落ち着きなく動いている。


 ぺらぺら軽くなっている舌が、つぎは如何なる毒矢を放つのか……。

 ついに稲は、おのれの言辞で涼馬を操る誘惑に勝てなかったらしい。


「聞くところによりますれば、この正月以来、ご子息の琢磨さまがご自分のお母君にそれは辛う当たられていたそうにござります。堪えに堪えて来られた袋が、とうとう破けてしまわれたのじゃろうと、村のみんなが噂しておりました」


 ――この正月以来というと、兄上の客死と関連があるのか?


「あの……まことに申し上げにくいのでございますが、徹之助さまと母君とのお仲がご子息の陣内さまのお気に召さず、それで、お母君さまは苦衷くちゅうに……」


 ――な、なに?!


 兄上と陣内殿の母君との仲とは、何じゃ?

 いったい、稲はなにを申しておるのじゃ。

 拙者の聞き違いか、それとも空耳なるか。


「お認めになりたくないのも当然でござりますが、徹之助さまと陣内さまのお母君とはたしかに割りない仲になっておいででした。ご城下では知らぬ者とておりませぬ」


 涼馬は稲の口を手で押さえたい。

 無理やりにでも黙らせたかった。


 ――余人は知らず、謹厳実直の四文字を背に張り付けたような兄上に限って、同朋の母君と情交を結ぶなど、さような不道徳を働かれるはずがない。この女、噂を盾に口から出任せを申しておるのじゃ。抗弁できぬ死者を冒涜ぼうとくするなど断じて許せぬ。


 猛烈な憤怒に駆られた涼馬は、ふらふらその場にくずおれた。

 自分の身体が蛸にでもなったようで、どうにも足腰が立たぬ。


「はぇ、涼馬さま、いかがなされました。お顔が真っ青でございますよ」

 いまさらながら狼狽うろたえてみせる稲を、涼馬は心底から憎悪していた。

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