第102話 稲が実家で聞いて来た耳寄りな話とは……



 5月11日の酉の刻。

 出仕した涼馬は、門の前で待ち構えていた稲に、板塀の外へ袖を引かれた。


 武者矢来が天に突き立つ板塀には、棟梁と賊の立ち合いの痕跡が生々しい。

 絵島の白い手の細かなふるえがよみがえった涼馬は、思わず顔をそむけた。


 涼馬の逡巡に気づかぬ稲は、溜めこんで来た胸の吐露をさっそく開始する。

「涼馬さまぁ。伺いましたよぉ、昨晩の一件。大変でいらしたのでござりましょう」


 たまたま暇を取って生家にもどっていた稲は、自分の留守を狙ったかのような事件の発生に納得がいかぬらしく、空豆の目をぎょろと剥き出し、鼻を膨らませている。


「まあな。お頭が追い払ってくださったんで、われらは楽をさせてもろうたわ」

 取るに足らぬとでも言いたげな涼馬の口調がまた、稲には気に入らぬらしい。


「またまた、ご謙遜を。事後、絵島さまをお慰めしたのは涼馬さまでしょう?」

「……早耳じゃな」潔癖症の涼馬は、かげで噂をされた事実が愉快ではない。


 だが、そうとも知らず、稲は褒められるつもりで得々と重ねて来る。

「おら、いや、わたしには、みなさま、ご親切になんでも教えてくれますですじゃ。まあ、あれでございましょう、紅一点ゆえ、何かと話し易いのでござりましょう」


「で、拙者になにか用か?」

 話を早く打ちきりたい涼馬。


 稲は一瞬ぽかんとしたが、すぐに磊落を取りもどし、勿体ぶって話し出した。

「あのなぇ……おらの実家でなぇ、耳寄りな話を聞いて参りやしただにぃ……」


 ――ええい、面倒くさい女子じゃなあ。


 涼馬の沈黙の意味を解さぬ稲は、得意満面でつぎの謎を仕掛けて来る。

「涼馬さまが一番お知りになりたがっていらっしゃる、例の一件でござりますよ」


 ――なに? 例の一件とは、兄上と陣内殿との宿直時の事情を指しておるのか。

   あの夜、凶刃に倒れた兄上を同じ夜勤の陣内殿が放っておいたという……。


 棒を呑んだような涼馬の様子に満足した稲は話の核心に入る気になったらしい。

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