第100話 夜間は禁じられている物語の相手を求められる



 騒動の後始末を終えて館内へもどる。

 ふたたび廊下の定位置に着いたとき、

「そこにおられるは……涼馬殿か」

 あたりを憚るような声が聞こえた。


 涼馬は身体を堅くする。

「さようにござりまする」

 いくら声を潜めても、狭い館内には筒抜けのはず。

 なれど、絵島はおとないを止めようとはせぬ。


「ただいまの騒ぎで眠れなくなった。物語の相手をしてくれぬか」

 涼馬は当惑する。

 夜間の絵島との会話は堅く禁じられている。

 掟破りは明白ゆえ、若造が独断で返答できぬ。


 すると、詰所から「えっへん」新田伊織の咳払いが聞こえた。

 わざとらしさが滑稽だが、涼馬には棟梁の配慮が分かり過ぎるほど分かった。


「満月の深更の物語も、なかなか乙なものではないか。たまにはかような粋があってこその人生じゃわい、のう」つぶやきながら用足しにと言い置いて席を立った模様。

 気を利かせたつもりか、他の花畑衆も、われもわれもと用足しを申し出ている。


 ――厠はひとつしかないのに、どうなさるおつもりか。


 涼馬は可笑しくなりながら、障子の向こうの絵島に丁寧に返事をする。

「拙者如きでよろしければ、喜んでお相手を務めさせていただきまする」


 果たして絵島の声が潤む。

「では、障子を開けられよ」


 静かに障子を開けると、夜具に端座した絵島が、夜目にも白い顔を綻ばせていた。

 寝間着にも夜具にも明るい色はいっさいなく、陰気な灰色一色の事実が傷ましい。


 髪を解き、華奢な肩から背中に緩やかに流した絵島は、少女のようにも見える。

「先刻はご苦労であった。久方ぶりの捕り物にわたくしもいささか胸が弾んだわい」


 朗らかにお道化てみせながら、寝間着の合わせ目を抑える手が、少し震えている。

「あの雪の夜から4か月余り。ふたたびかような襲撃を受けようとは思わなんだわ。徹之助殿の如き事態に至る方がひとりも出なかったのがわずかな慰めじゃが……」


「絵島さまこそ、ご無事で何よりでござりました。われらはご警護が任務でございますゆえ、どうぞお気遣いくださいませぬように。ご安心してお休みくださりませ」

 新米の身で花畑衆の代表の物言いになるのを苦にしつつ、精一杯の慰めを述べる。


「涼馬殿。徹之助殿の母上やご家族に、くれぐれもお詫びを申し上げてくれぬか」

 こういうとき、絵島の切実な思いは、やはり、雪の夜の惨劇に行き着くらしい。

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