第91話 江島思いの稲、ひそかな布団干し



 同日の申の刻。

 涼馬が自主練のために屋外へ出ると、下女の稲が待っていた。


「涼馬さま、昨日は近しくお話できて、稲、とても楽しゅうございました」

 弾む乙女心が伝わって来て、涼馬はくすぐったい。

 正直、やや後ろめたくもある。(笑)


「何の、拙者もじゃ。ところで、お稲殿は今日は庭で何を?」

 涼馬の問いかけに、稲は自慢げに鼻孔をふくらませた。


「絵島さまのご寝具を日に当てて差し上げております。本当は禁じられているのですけど、湿ったお布団に休まれるのでは、余りにもお気の毒ですゆえ。他人目に立たぬ場所でこっそり干して差し上げておりますこと花畑衆もご存知ですが、どなたも何も申されませぬ」


 媚びを含んだ空豆の目が、愛しげに涼馬を見上げている。

「お稲殿の天晴独断、まことにもって祝着至極。かような秘密には拙者も大いに加担させてもらいたいものじゃ」


 涼馬が答えると、果たして、空豆のさやは喜悦にぱちんと弾けた。

「はえ、ありがとうございます。これからも何か思い付いたら、いの一番に涼馬さまにご相談させていただきます」


      *


 武者矢来の板塀のきわ、柿の木の下に、適度な日かげが溜まっている。

 自主練の場所まで従いて来た稲は、何か言いたげにモジモジしている。


「まだ何か?」

 足を止めた涼馬が問いかけると、稲は待っていましたとばかりに話し出した。


「あの……涼馬さまは、亡き徹之助さまのあと、ご養子に入られたのですよねえ?」

「さようじゃ。江戸から参ったゆえ、この土地の事情は何も知らぬ。よろしく頼む」


 涼馬が社交辞令を述べると、稲は自身の言葉足らずを歯痒はがゆがった。

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