第86話 青空のもと気持ちよく自主練に励みながら
5月4日。
絵島囲み屋敷への勤務は3日目。
涼馬は早くも下女の稲と仲良くなった。
きっかけは、何気ない一件だった。
所用に立ち上がった涼馬と、絵島に夕餉を運ぶ稲が、廊下で鉢合わせしたのだ。
磁石に引っ張られるように、双方ともに同じ方向へ、何度か動いたあげく、
「いや、これは申し訳ござらぬ。お稲殿の仕事の邪魔をしてしまい、相済まぬ」
「いいえ、滅相もねえですだ。オラこそ、いえ、わたしこそ、とんだご無礼を」
両人同時にぺこりと頭を下げ、その拍子に危うく額をぶつけそうになった。
百姓言葉の丸出しに遅ればせながら気づいたのか、稲は熟柿のごとく赤くなった。
はちきれそうな頬のうえで、虹彩がうかがえぬ空豆の眼が、きょとんとしている。
涼馬は稲の善良を確信した。
警護の花畑衆には、交替で庭へ出て、武芸の自主練に励む猶予が与えられていた。
そうでもせねば心身共に保たぬ――が正直なところだが、広い空の下で伸び伸びと手足を伸ばし、肺に清浄な気を入れ、筋肉を鍛練するのは得も言えぬ解放感である。
同時に、生真面目な質の者は、暗い屋内に閉じこめられ一瞬でも日を浴びる機会を与えられぬ絵島に後ろめたさを感じ、一種、卑屈な気持ちに駆られるのが常だった。
――われらは任務で警護しているのであって、決して御公儀の手先ではないのだ。
さように言い訳したいが、客観的に見れば紛れもなく取り締まる側にほかならぬ。
――ああ、やりきれぬ。
あの清廉な絵島さまに、不義密通という嘘か誠かわからぬ微罪による
剣士はだれもが内心の思いの丈を、素振りや突きにぶつけた。
黙々と木刀を振るう頭上で、鳶がゆるやかな円を描いている。
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