第85話 下働きの小娘・稲は涼馬にぞっこん
5月3日。
涼馬の絵島囲み屋敷務めは2日目となった。
花畑衆の役目は絵島を守る一事につき、怪しい者が侵入せぬ限り、日がな一日行う勤務がない状況は弓衆の場合と変わらぬ。終日詰めてみて、涼馬はしみじみ思った。
――狭い。如何にも狭い。
狭過ぎでござるわい。
高さ8尺の武者返し板塀が張り巡らされた南側に面し、嵌め殺しの格子戸がある。
幅半間の縁側を挟んで絵島の8畳の居室が配され、そのすぐ北隣には10畳の番人詰所が置かれており、昼も夜も、数人の花畑衆が、そこに詰めておらねばならぬ。
半日も経たぬうちから、涼馬は退屈で退屈でたまらなくなった。
これならば、稽古場が広い分だけ、弓衆のほうが、まだ増しだったやも知れぬ。
欠伸を噛み殺しながら涼馬は居ながらにして朽ちていく自分を早くも想像した。
*
そのうちに、先輩の花畑衆の息抜きは下女と口を利く機会にあるらしいと知った。
御公儀の許可で配されている下女には、番人詰所の東隣に3畳が宛がわれている。
そこで起居して朝夕の江島の食事の用意をしたり、要望があると風呂を焚いたり、洗濯をしたり、その他、細々した絵島の身のまわりの世話をするのが役割である。
下女は「稲」と呼ばれる、涼馬とほぼ同年輩に見える健康的な少女だった。
近郷の百姓家から、口が堅く、真面目な働き者として召し出されたらしい。
縦横同寸の丸顔で、固太りの中肉中背、暇さえあれば身体を動かしている。
初日、洗濯板を抱えた稲は、涼馬の前で呆然と立ち尽くした。
そして、真っ赤になった顔を伏せて、バタバタと立ち去った。
――2日目の今日は、果たして如何に?
男の気持ちで観察していると、やはり顔を赤らめ、こんもりと肉厚の背中いっぱいに恥じらいを溢れさせながら、山へ帰る狸のごとく、
――この小娘、拙者に気があるのか?
女同士、仲よくなりたいものじゃ。
むろん、当方は男としてじゃが……。
5年前、絵島を高遠へ引き渡す際、御公儀から内藤家に詳細な申し送りがあった。
菓子や酒などの
――敢えて申すまでもないが、男女間の関係にはずいぶんと留意されたし。
そんな一条が入っていたので、預かる側にも相当な物議をかもしたらしい。
事件の発端が発端だけに、御公儀の心配が分からぬでもない。
なれど、これではまるで、絵島さまは色情狂扱いではないか。
だれもがそう感じて、あまりの言われように鼻白んだという。
さような経緯を踏まえれば、涼馬と稲の間柄にも、相応な配慮が必要と思われる。
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