第80話 花畑衆の棟梁・新田伊織との初対面あれやこれや



 絵島囲み屋敷は粛然とか厳然の表現では言い尽くせぬ一種独特な趣を醸していた。

 専門の植木職人が配備されているらしく、きっちりと手入れの行き届いた柘植つげ馬酔木あせびの植栽のなかで、純白の躑躅つつじの花が、生まれ立ての山羊の赤子のごとき純真さで、ふうわりと咲き出ている。


 なれど、甚三紅じんざもみ韓紅からくれない深緋こきひ紅赤べにあか臙脂えんじ蘇芳すおう濃紅こいくれない黄赤きあか照柿てりがきなど女人にふさわしい華やかな色彩はまったく見当たらぬ。

 年増とはいえどまだまだの39歳の女盛りを強引に閉じこめている違和感がある。


 一見、普通の家屋に見える小さな館に、実は大いに訳ありの罪人が囚われている。


 庭下駄を履き、素足の足裏あうらに土の感触や匂いを楽しむ。

 山国の日差しを知らぬ白い頬を、四季の風になぶらせる。

 さようにささやかな楽しみすらも許されぬ咎人とがびとが……。


 諏訪湖が全面結氷して御神渡おみわたりが起きる厳寒の地で足袋も許されず、火鉢ひとつで暖を取る。当領名うての強者どもに、昼夜を問わず二六時中監視されている。想像するだに背筋が寒くなるような絵島の境遇を、涼馬は初めてわが身として実感した。


 整然と刈りこまれた植栽の先には、武者矢来の板塀が鋭角に天を突き刺している。

 尖った切っ先が幽閉の名を用いて生身の女を飼い殺しにする無惨を物語っている。


 ――これまで真剣に考えてもみなかった。

   だが、拙者なら10日も堪えられぬ。


 あらためて涼馬は他人事への冷酷を恥じた。


      *


 申し訳程度の門をくぐると、もうそこが玄関だった。

 いわば裏方の立場で、客人のごとく玄関から入って行っていいものやら迷ったが、かと言ってほかに入り口らしき所も見当たらぬので、やむなく声を張ることにした。


「もうし、ご免仕ります。本日より着任いたしました、星野涼馬にござります」


 ややあって、ほの暗い奥から、肩幅のがっしりした偉丈夫が、ぬうっと現われた。


「おお、涼馬殿か。待っておったぞ。まま、上がられよ。そこに草履を脱いで……。いや、もそっと脇へ置かれたほうがよいじゃろう。なんせ、ご覧の通りの狭さゆえ、草履ひとつの置き場所にも気を遣わねばならぬのじゃわ、ここでは、わっはっは」


 気安く声をかけながら、偉丈夫は図体に似ず、まめまめしく世話をやいてくれた。


「おお、いかぬいかぬ。肝心の自己紹介をし損じておったわい。これだから拙者は、まったくもって(ムニャムニャ口の中で呟いているが、涼馬には理解不能)……」


 脂ぎった頭髪の匂いを芬々と放ちつつ、ひとりで述べ、ひとりで反省している。

 涼馬は可笑しくなったが、目の前の偉丈夫侍は自身の事柄で大忙しと見える。


「では、遅ればせながらあらためて。拙者は、新田伊織にったいおりと申す。花畑衆の棟梁を申しつかっておる。なに、かしらとは名ばかりの粗忽者ゆえ、ま、気楽につとめてくれい」


 明るい廊で見れば、顔には無精髭が伸び放題で、袴はだらしなくれている。

 気温が上がって来れば、周囲にブンブンと小蠅でも飛び交いそうな雰囲気だった。


 ――大丈夫なのか? このお方は……。

   ぐにゃぐにゃ掴みどころがないが。


 涼馬や母・彌栄には無条件にやさしいが、部外者には存外に辛辣な梅が、出入りの商人の何某をかげで評すように、まさに「のんしゃらん」を絵に描いたような……。

 同じ棟梁であっても、昨日まで仕えていた弓衆の棟梁とは、どえらい違いである。


 ――武張ったほうがいいとは申さぬが、かように威厳がないのもアレじゃわい。


 入道雲のごとく湧き上がる疑念を素早く封じこめた涼馬は、礼儀正しく挨拶する。


「あらためまして、星野涼馬にござります。ご覧のとおりの弱輩につき、何も知らぬ不束者ふつつかものでござりますが、よろしくご指導ご鞭撻のほどをお願い申し上げまする」

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