第77話 お見送りの際、黒曜石に「物語石」と名づける



 4月29日(6月4日)の辰の刻。

 涼馬は参覲見送りの人群れにいた。


 本丸御門の前に何百人という郷士が人垣を作っている。

 赤い太鼓橋の上にも、多数の武士が行列を成していた。

 だれもが晴れがましげな面持ちで、威儀を正している。

 涼馬は最後列の弓衆の中で、最も目立たぬ位置にいた。


 やがて、合図があって御門が開き、しずしずと参覲の行列が出て来た。

 先頭は騎馬の武者10騎ほどで、徒歩かちの足軽、鉄砲、弓衆がつづく。

 さらに後方には、日傘、茶、弁当、椅子、風呂釜などを運ぶ道具持ちや槍持ちなどの中間ちゅうげん、草履取りや医師など、伊賀守の身辺に仕える者たちが連なっている。


 おごそかな行列の中ほどを、下がり藤紋付きの駕籠が上下動を抑えて進んで来る。

 選ばれた弓衆仲間が通り過ぎたあと、涼馬は伊賀守の駕籠に、ひたと目を据えた。


 御簾みすが降りているので、お駕籠の内部の様子はうかがえない。

 だが、ある瞬間、伊賀守が涼馬の姿を認めたことを、はっきりと認識した。


 ――行ってらっしゃいませ、殿さま。


 どうか長い道中、ご無事で。

 つつがなく江戸の奥方さまのもとにご着到されますように、そして、1年後には、お健やかに、ここ高遠にもどって来られますように、ご祈念申し上げております。


 その懐には、昨日、殿さまから拝受したばかりの黒曜石が大事に仕舞われている。

 つるんと丸いゆえ、ふと転がり出てしまわぬよう、梅に巾着袋を作ってもらおう。


 殿さまから特別に賜った魔法の石の件は、まだ母の彌栄にも告げていなかった。

 できれば殿さまと拙者、ふたりだけの秘密にしておきたいが、そうもいくまい。


 黒曜石は涼馬のお守りであると共に、贈り主の守護神でもあるような気がする。


 ――そうだ、この石に名前を付けて進ぜよう。

   ふむ……「物語石」というのは如何であろう。


 100人ほどの一行は、さして急ぐ様子も見せず、梅雨の間近さを思わせる曇り空のもと、粛々と本丸を出ると、二之丸から三之丸へ、さらに城下へと進んで行った。

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