第65話 高遠城の成り立ちと今日までのあゆみ



 4月3日未の刻。

 涼馬は家老の縫殿助に呼ばれた。


 遣いの陣内琢磨は相変わらずの横着で、稽古場の入り口で草履も脱がず、「涼馬。本日は、ご家老がお呼びじゃ。ふん。引く手数多じゃな」皮肉に吐き捨てた。


 涼馬はむっとするが、さような心持ちはおくびにも出さず、

「畏まりました。ご案内、まことにありがとうござります」

 しれっと答えて、淡々と立ち上がる。


 夏用袴の裾に、先輩方のやっかみが、栗の殻の毬々いがいがの如くへばり付いて来る。

 おしなべて良き人たちなのだが、人間の心情は十人十色、なかなかに面倒なもの。

 だれにともなく浅く一礼した涼馬は、逆光を負う大柄な影に飄々と歩いて行った。


      *


 兜山かぶとやま城の別名を持つ高遠城は、いまを去る410年前の暦応年間(1338~41)に、高遠太郎を名乗る木曽義親が、月誉つきよ山の西側丘陵に築いた平山城である。

 天文14年(1545)に武田信玄が攻略、山本勘助に改修の縄張りを命じた。

 勘助曲輪を初め当時の痕跡を数多残す城内は、山、谷、渓流と起伏に富んでいる。


 二之丸を経て本丸へ向かう途次も、両側から迫る丈高い樹木が、いっせいに山頂を目指していた。

 蟻に糸を引かせたごとく、気ままに樹林を這いまわる小道は、上ったり下ったりと忙しない。人並み外れて俊敏な涼馬も、獣の如き速足で走破すると、軽く息が弾むのを覚えた。


 雨や雪で滑りそうな急坂には、裏山から伐り出した丸木の階段が設けられている。

 多くの歳月と足底によって擦り減った段々にも、目の底まで染まりそうな青葉が、嫋々じょうじょうと濃い影を落としていた。

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