第62話 本日の伊賀守さまは「夢」の話をご所望なさる
兄の客死以来、怒涛の日々を送って来た涼馬である。
閑な弓衆の務めは、退屈以外の何ものでもなかった。
毎朝、辰の刻に出仕。
板の間や厠、館まわりの掃除を済ませ、備品の点検、弓矢の手入れ、帳簿の照合等の定められた業務を終えると、あとは稽古で退出までの長い時間をつぶすしかない。
盤石な御公儀がある現在、生きている内に再び合戦が起こる可能性は無に等しい。
なのに「有事に備えて気合いを入れよ」と命じられても……無理なものがあった。
命じる棟梁ですら内心ではさように思っているのだから、配下はなおさらである。
ひとりが噛み殺した欠伸が相次いで伝染し、稽古場中に、なんともだらけきった気が満ちるのは、中食後の一刻、二刻である。
腹が満ちれば頭が霞むのは生き物の習いとはいえ、侍なら、如何なるときにも隙を見せてはならぬはずだが、そろって緩慢な動作が無遠慮に視野に入り込んで来る。
醜悪な怠惰の群れは、あくまでも潔癖であらんとする涼馬の心情を、野分か竜巻のごとく掻き乱した。
――せっかくご仕官できたのに、かような無為で一生を終えねばならぬのか。
いままでの精励が無意味に思われ、なにかを蹴飛ばしてやりたくなったりした。
*
そんな涼馬の唯一の救いは、伊賀守からの招きだった。
「涼馬。またしても、殿がお呼びじゃ。至急、本丸へ」
稽古場の入口に突っ立ったまま、陣内琢磨がいやみったらしい口上で呼び立てると、涼馬は喜びを表に見せないよう用心しつつ、内心いそいそと奥御殿に出向いた。
うしろから見れば姫かとも見紛うような撫で肩の伊賀守は、涼馬の姿を認めると、真っ白な
「よく参ったな、涼馬。ささ、もそっと近う参れ。さように離れて座しておっては、物語できぬではないか。そなたと余の仲に遠慮は無用じゃ。ささ、ずいっと近う」
何の
ずっと邂逅を待ち侘びていたものと見え、伊賀守はさっそくわが事を語り始める。
「あのな、涼馬。余は昨夜、久しぶりに幼い頃の夢を見てな。今日は夢の案件を語り合いたいと思うておるのじゃ。ところで、涼馬。そなた、よく夢を見るほうか?」
「そういえば、このところ、とんと見ておりませぬ。以前はよく、怖い夢に
「なに、怖い夢とな。して、如何様な?」
「いえ、別に、ご披露申し上げるほどのものではござりませぬ。得体の知れぬ妖怪や雲を突く大男に追われる夢とか、そそり立つ断崖絶壁から一気に滑り落ちる夢など、さような子どもっぽいものにござります」幼稚な自分に恐縮し、涼馬は頬を染めた。
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