第60話 不愛想な陣内に江島屋敷の弓衆に取り次がれる



 絵島を閉じこめる屋敷は、はっと哀れを誘われるほど簡素でこぢんまりしている。

 逆に、屋敷の周囲には、不相応に厳重過ぎる板塀が黒々と張り巡らされ、侵入者を天に串刺しにするが如く屹立する武者矢来は、涼馬の胸に激しい痛みを甦らせた。


 ――嗚呼、兄上。

   かようなところで最期を迎えられたとは……お労しや。


 あの寒い雪降りの深更、徹之助がひとりで賊と戦い、斬られ、虫の息で悶絶しているとき、この自分は温かな掻巻かいまきに包まれ、いたずらに惰眠を貪っていたのだ。申し開きのできぬ事実を思い返すたび、涼馬は果てしのない自己嫌悪地獄に陥っていた。


 あの日からわずかな時間しか流れていないのに、涼馬の身辺は激変した。


 ――水面に浮かんだ枯葉のごとく、自分は何処へ流れて行くのだろう。


 乙女らしい感傷もまた、紛れもない涼馬のものである。

 粉雪に降りこめられていた囲み屋敷も、いまは目を洗う若葉に埋もれている。


 ――囚われの女罪人の白い頬も、木漏れ日に青く染まっているだろうか。


 思いがけぬ甘い連想を呼んだ自分の脳裏を、涼馬は呆れたように見直した。


 ――兄は浮かれ女の身代わりで殺されたのに、妹の拙者がかように呑気な……。


 複雑に翳る涼馬の胸中には無頓着に、陣内は身勝手な草履を弛めようともせぬ。

 冷酷なほどの早足でさっさと進むと、殺風景な平屋建てに入って行く。

 やむなく涼馬も従うと、玄関に突っ立った陣内は、初めて口を開いた。


「ここが弓衆の詰所でござる。申すまでもないが、以降、本丸への出仕は無用にて」


 にべもなく告げると、無造作に草履を脱ぎ、ずんずん内部へ入って行く。


 ――分かっておろうな。

   ご家老の引きがあるからといって、いい気になるなよ。


 さようにも聞こえる苦味の利いた物言いが、涼馬の胸にかすかな波動を呼んだ。


 武芸の稽古場を思わせる広い板の間に、10人ほどの老若の侍がたむろしている。

 青い木漏れ日の逆光のなか、いっせいに涼馬を見たようだが、日向に晒された目にはだれがだれやら、各々の顔の判別がつかぬ。


 如何にも「役目ゆえ仕方なく」感を隠しもせず、陣内が無愛想に告げる。

「本日、弓衆を拝命致した星野涼馬殿にござる。よろしくお見知り置きくだされ」

 異質者の闖入ちんにゅうとばかりにどよめいていた弓衆は、いっせいに涼馬の顔を射た。


 気まずい沈黙が板敷きに流れる。

 だが、陣内は貝の如く口を閉ざしている。

 縫殿助家老のように、涼馬を引き立ててくれるつもりなど、さらさらないらしい。

 仕方なく涼馬は自ら挨拶するしかない。

「星野涼馬にござります。本日より、みなさま方の末席に加えていただきます。ご覧のごとく、何も分からぬ新参者ゆえ、よろしくご指導のほどをお願い奉りまする」


 ――星野? いま確かに星野と申したな。

   もしや、亡き徹之助の縁戚では……。


 小声で囁き合う声が、耳聡い涼馬には筒抜けである。

 涼馬の挨拶が済むと、陣内は即座に本丸へ取って返した。

 まさに取り付く島もないほどの素気なさである。

 なぜ、かほど冷淡に扱われるのか、涼馬には理由が読めぬ。


      *


 右も左も分からぬ新参の涼馬にとって、極めて居心地のわるい時間が始まった。

 何をしていいものやら、してならぬものやら、かいもく見当が尽かぬ。

 まさに針のむしろである。


 手持無沙汰に当惑していると、棟梁らしき侍が20歳ほどの若侍を手招きした。

 人懐こげな温容の若侍は、ひょこひょこした足取りで、涼馬に近寄って来た。


「ささ、こちらへ参られよ。なに、さほど、堅くなられずともよい。じきに慣れる。われらみな代々の弓衆ゆえ、目立たず、怠りなく、仕来りどおりの仕事をつつがなくこなしてさえおれば、易々と日が過ぎて行ってくれる。ま、気楽に務められよ。な」


 ぶっきら棒だが、根は親切な人たちらしい。

 涼馬はほっとして、いそいそと腰を上げた。

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