第57話 星野家の親戚一同に養子縁組のお披露目


 

 3月8日(陽暦4月15日)午の刻。

 襖を取り払った星野家では、親戚一同を招き養子縁組のお披露目が催されていた。

 顔触れが揃うと、上座に座った後見人の縫殿助が重々しく涼馬を紹介してくれた。


「御一同衆。これなるは、拙者が江戸の縁戚から連れ参った涼馬と申す。行く行くは星野家の後継を目する者につき、御一同におかれては、よろしくお見知りおきを願いたき所存にござる」


 縫殿助に促された涼馬は、威儀を正して、きっちりと口上を述べ立てる。


「ご親戚のみなさま方には、お初にお目にかかります。星野涼馬にござります。ご覧のとおり弱輩の不束者ふつつかものではござりますが、星野のご一族の末席に加えていただけますよう、日々、精進の覚悟にござりますゆえ、ご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます」


 かたわらで、母の彌栄も折れるほど細い首を丁寧過ぎるほど丁寧に下げている。

 病み衰えた痩身に、紋付きの晴れ着が痛々しい。

 涼馬は気遣わしげに母を見遣った。


 そのとき、厳めしい眉を仔細げに寄せてみせたのは、本家の叔父の安之進だった。


「立派な養子を迎えられる儀、まことにもって祝着至極。跡取りの徹之助がああいう仕儀と相成ったゆえ、われらもたいそう案じておったが、これにて当家も安泰というものじゃ。ところで、小梢は如何致した。近頃、とんと姿が見えぬようじゃが……」


「おう、そのことよ。先刻から拙者も、娘御の不在を不可思議に思うておったところじゃ。彌栄殿、大事な箱入り娘をどこに隠したのじゃ。まさか、われら親戚に憚る状況が生じたわけでもあるまいな」むかし、星野家とのあいだに何かあったのか、腹に一物ありげな遠縁の老人・彦左衛門もこのときとばかりに野卑な声で加勢して来る。


「先刻どころか、ずいぶん以前から姿を見かけぬと、近所の評判になっておったわ。高遠小町などとおだてられ、どこぞの遊び人風情と駆け落ちでもしたのではあるまいなどと、心ない噂を撒く輩もおってな、同族としては肩身が狭い日々じゃったわい」末席でぼそっと呟いたのは、皮肉屋で嫌われている、父の又従兄弟の惣三郎だった。


 他者の幸を喜べぬ性質の3者によって、華やいでいた座が一気に暗転しかけた。

 そのとき、堂々たる威風で濁った気を一掃してくれたのはやはり縫殿助だった。 


「その件なら、ご案じ召さるな。わしの一存でな、小梢殿は奥御殿に出仕しておる。やがては涼馬とめあわせたいと彌栄殿もご所望じゃが、何事もけじめが大事。それゆえかような仕儀に相成った。順番が後先になり、まことに申し訳ござらぬ。すべては、わしの粗相とご海容くだされ」


 やわらかに言い終えた縫殿助は自ら席を立ち「さあさあ」と徳利を傾けて酒を勧め始めたので、座は一気に和み、「あら目出度やな」と、飲めや歌えの騒ぎになった。


 おかげで、小梢が涼馬に成り代わった事実に気づいた親戚はだれもおらぬもよう。

 その一事のみをひたすら危惧していた涼馬は、安堵の胸をひそかに撫でおろした。


 折しも、近隣にも華麗が響く高遠小彼岸桜は、葉桜の寸前を辛うじて留めており、東の城山から西に向かって雪崩打つ城下一円に、濃い紅色の霞が立ちこめている。


 城の数だけ城下はあれど、無何有郷むかうのさとの名にふさわしい彩りがほかにあろうか。

 遠目には桃や杏と見紛う優美な花びらは清冽と艶麗を併せ持つ、まさに蠱惑こわくの高遠小彼岸桜である。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る