第50話 日置流弓術秘伝の「紅葉重ね」を伝授される

 

 10日後の2月17日。

 前のふたつの武芸と同様に、ごく短期間に簡略を旨とする「体配たいはい」をすべからく修得した涼馬は、幽界師から日置流弓術秘伝の「紅葉重ね」を伝授された。


「弓術の成否は、一に、手の内の整えにある。虎口(拇指と人差指との股)の内でも角見(拇指の付け根)の働きに意識を集中させる。弓術において最も重要なのじゃ」


 弓術一筋にのめり込んで来た涼馬には、一言一言が砂地に水が染みこむがごとし。


「まずは下弭しもはず(弓の下端の弦輪を掛ける部分)を左膝頭の上に立て、弓を身体の左斜めにとって、取懸けを終わる。弓に左手の小指を掛けたまま、虎口を弓から放す。かくて、これより『紅葉重ね』の手の内に移るのじゃ」


「はい。承知仕りました」

 一言半句たりとも聞き漏らすまいと、涼馬は全身を耳にして聞いている。


「次なる打起しでは、拇指の付け根に密着した弓が、掌中で空廻りをせぬよう常態を保たねばならぬ。しかる上に、中指、薬指、小指の3本に徐々に軽く力を加えてゆくのじゃ」


「かようでござりまするか」

 言われた通りに試してみる。


「さすれば、弓を押し開くにつれ、弓に絡み付いた拇指の股の皮は、弓を右方に捩るようになる。一方、拳は上下に広がり、股の皮と、掌を横断する天紋筋の皮に収斂しゅうれんされ、小指の腹皮は掌の中心に引き込められ、弓に絡み付く力を強めるのじゃ」


「あ、算術でござりますね!」

思わず叫んでいた。


「さようじゃ。腕力を弄して、無理やり弓を右の方向に捩る力を加えなくとも、弓に密着する皮が自ずから弓に絡み付き、手首(脈所)の左に返らぬ限りは、強い力を保ったまま、弓を右に捩っている。つまり合力を活用するのが『紅葉重ね』なのじゃ」


 理の通った説明に涼馬は心の底から感服し、肩を震わせた。「まことにありがとうございます。拙者ごとき弱輩に、かように仔細なご指南、ご恩は生涯、忘れませぬ」


 語り終えた幽界師は、前もって認めてあった紹介状を涼馬に手渡してくれた。


「涼馬。最後に柔術を身に着けよ。剣、槍、弓の規範となるのが柔術じゃ。関口流せきぐちりゅう柔術の師範、宗田達心そうだたつしんは拙者の朋輩よ。なかなか味のある人物じゃ。心して学べ」

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