第46話 心、槍、体一致の会得に陶然とする涼馬
風傳流槍術の稽古場でも、涼馬は新人らしく、あくまでも控え目に振る舞った。
稽古の前後の床板の拭き掃除はもちろん、真壁羽衣師範の居室から控え部屋、厠に至るまで、淡々と役目をこなしたつもりだが、抑えれば抑えるほど目立つものがあるらしく、兄弟子たちの羨望と嫉妬を一身に浴びる状況も剣術の場合と同様だった。
だが、尖った環境に置かれるほど、涼馬の触覚は鋭敏に研ぎ澄まされて行った。
むかし、徹之助の勧めで禅寺で断食を経験したが、あのときの感覚に似ていた。
――人間は弱い存在ゆえ、すべてに満ち足りていては奮起できぬのやも知れぬ。
申しては何だが、凡庸の域を脱せぬ兄弟子たちには、焦がれるが如き飢えと集中が不足しておるのだ。爪弾きされた涼馬は、孤高に甘んじて、さように観察していた。
群れには派閥もあるらしい。
有象無象が集まれば割れる。
凡愚の悪しき類型であろう。
かような状況を、真壁羽衣師が知らぬはずがなかったが、剣術の岳遼師と同様に、槍術本来の伝授以外には、いっさいの口出しをせぬ態度を貫いておられるらしい。
弟子であっても、烏合の衆は、所詮、烏合の衆と見て、冷然と突き放している。
真壁羽衣師の透徹した姿勢は、新人涼馬の、唯一にして大きな救いでもあった。
*
低く腰を落として槍を構え、
――ヤアッ!
気合いもろとも、右足を、がっと大きく前進させる。
ほんの1寸浮かせた左足は、すうっと滑らかに床を這う。
この一連の動作を1拍で行う。
黙々と稽古を積むうちに、涼馬は不思議な感覚を会得していた。
肢体が槍で、槍が肢体……一本の棒との陶然たる一体感である。
――心、槍、体一致とは、かような状況を指すのか。
人の目には見えぬが、天地を自在に吹き鳴らす風。
広大無限から命名されたという風傳流の名称の妙が、まざまざと実感される。
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