第45話 清磨の誘いをやっとの思いで振りきった涼馬
だが、清麿は涼馬の当惑も知らぬ気に、押しの一手で来るつもりらしい。
「袖振り合うも他生の縁と申す。いまこの瞬間に、そなたと拙者の袖が振れ合った。かような偶然を必然と呼ぶのじゃ。ほんの一刻、半刻ずれていたら成立し得なかった邂逅なるぞ。さように考えを廻らせば、縁の不思議に驚かされるばかりではないか」
「まあ、たしかに……」
「で、どうじゃな、お近づきのしるしに、裏店の縄暖簾あたりでご一献ってえのは。まだ宵にはちょいと間があるが、なあに、心配無用じゃ。それがし、その手の店にはいささか心当たりがあるゆえ、頼めば、いかようにもなる。な、よいではないか」
言葉を尽くして涼馬の顔を覘きこんで来る清麿の双眸は、泉のごとく澄んでいる。
――いやはや、まことにもって、
清麿さまは、本気で拙者を男として誘っておられるらしい。
あれほど親密だった大男との仲は、如何なったのであろう。
段取りよく涼馬の背にまわして来た清麿の手が妙に熱っぽい。
生まれ立ての恋に夢中の清麿は、涼馬の胸中に気づかぬ様子。
「なに、大した手間は取らせぬ。ほんの一刻でよいのじゃ。な、付き合うてくれ」
今夕を逃せば永久の別れと言わんばかりに、清麿はしつこく誘いかけて来る。
「いや、今日はあいにく野暮用が待っておりますゆえ、また、このつぎに……」
「さような無慈悲を申さず、ほんの一杯だけどうじゃ? せっかくの邂逅ゆえ」
追いすがって来る清麿をやっと振りきり、
「申し訳ござりませぬ、拙者、先を急ぎますゆえ」
涼馬は持ち前の俊足で、野兎のごとく逃げ出した。
「次回は必ず付き合ってもらうゆえ、そのつもりでなぁ」
未練気な清麿の声が涼馬の背をどこまでも追って来る。
涼馬が小梢だった時代に、同様に清麿に誘われたなら、いかにうれしかったろう。
だが、武士になったいまは、清麿の誘いは、極めて残酷な撒き餌でしかなかった。
もし清麿の情けを受け入れれば、遅かれ早かれ女である事実が必ず露見しよう。
星野家を守り、兄の仇を討つ大義を思えば、そんな事態だけは避けねばならぬ。
うしろも振り向かず走りながら、涼馬は運命のすれ違いが心底やるせなかった。
気づけば、大人も子どもも犬や猫も、網を掛けられたごとくに掻き消えている。
動くものは風ばかりとなった無人の通りに旨そうな味噌汁の匂いが流れている。
つい先刻まで弱々しい余韻を保っていた浅春の太陽は、赤石山脈に沈んでいた。
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