第44話 好いた男の馨しい体臭に陶然とする涼馬(笑)



 それならそれで致し方ない。

 この期に及んで慌てたところで無意味じゃ。

 潔く肚を括らねばならぬ。


 涼馬が観念したとき、停止していた清麿の影が動き出した。

 淀みのない歩き方で、真っ直ぐ涼馬のほうに向かって来る。


 ――わわ、絶体絶命じゃ!((+_+)) 

   前身を見抜かれたに違いない。


 涼馬は、しんと透き通った気持ちになり、洗いざらい打ち明ける覚悟を決めたが、満開の牡丹のごとく艶やかに赤い唇は、思ってもみなかった意外な言辞を発した。


「よう。この辺りじゃ、あまり見かけねえ顔だな。そなた、何処から来たのじゃ? どこからどう見ても、高遠の地付き侍じゃあるめえ。え、どうだね? お若えの」


 藪から飛び出した仔鹿のごとく驚愕の目を見張った涼馬は「い、い、如何にも……拙者、江戸から参ったばかりの牢人でござる」掠れた作り声を辛うじて絞り出した。


 すると、清麿は好奇心を露わにし、踏みこんだ質問を矢継ぎ早に畳みかけて来る。


「ふむ、訳ありのようじゃな。まあ、よい、いろいろあったのであろう。で、そなた歳は如何ほどじゃ? 何処に住んでおられる? 両親や妻子は、おられるのか?」


 ようやく落ち着きを取りもどした涼馬は、憤然と拒否する。

「初見の拙者にかように無遠慮なお申し出、無礼ではありませぬか。見知らぬ方に、個人的な仔細をなぜお答えねせねばならぬのか、拙者にはとんと理解できませぬ」


 弱輩にたしなめられた清麿は、凄味の利いた捨て台詞を吐き散らすかと思いきや、精緻な小刀細工のごとき切れ長の目を、でれでれと音がせんばかりに和めて言う。


「おお、言いも言ったり。まさにそなたの言うとおりじゃ。拙者としたことが一本、見事に取られたわい。いや、申し訳もなし。いまの言は、なかったことにしてくれ」


 子どもに言い聞かせるように宥めながら、靭やかな鞭のような肢体を近々と涼馬に摺り寄せて来るので、銀杏髷の鬢付け油とも、全身の毛穴から滲み出る脂とも、それともまったく別のなにかとも知れぬ甘酸っぱい体臭が、むわっと涼馬の鼻を突いた。


 ――むむ、好いた男のかぐわしい体臭じゃ。(⋈◍>◡<◍)。✧♡


 兄が客死した晩の、幻燈絵のような記憶が、まざまざと脳裏によみがえって来た。

 だが、いまの涼馬が懐かしめるのは娘時代の感覚であって、男として、ではない。


 ――近い!! 近すぎる!!

   見知らぬ他人同士が……本来、あり得ぬ。


 涼馬は思わず後退あとずさりした。

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