第41話 棒一本の単純さゆえに八面六臂の働きができる


 

 真壁羽衣師範の槍術稽古場は、岳遼師の剣術稽古場と、道を挟んだ北側にある。

 同じく飾りを廃した建物に、鏡のごとく磨き込まれた板敷の間が広がっている。

 四囲の格子戸を浅春の風が吹き鳴らしていくところまで似ている。


 声を掛けるまでもなく、羽衣師範は稽古場で、独り稽古に励んでいた。

 削いだように痩躯の岳遼師と逆に、見るからに武張った中肉中背で、身体の各部が角材である。定規を当てたような四角四面が、新しい師範の持ち味のようだった。


 真四角な顔が横に広がり、四角い口から気合いが迸る。


 ――ウオオーッ! トリャーッ! カーッ! 


 同時に、低く腰を落とした袴の脚が大きく一歩前進する。

 瞬間、腕の先に長々と伸びた槍が、宙を突き刺していた。


 涼馬は、己の正中に一撃を受けた衝撃を感じ、全身の繊毛を逆立たせた。

 集中を解いた羽衣師範は、肩にめり込んだ短い首を廻らせて涼馬を見る。


「御修練中に相申し訳ござりませぬ。拙者、葉山岳遼師範のご推薦で、教えを乞いに伺いました、星野涼馬と申します」


 一瞬、金壺眼かなつぼまなこを光らせた羽衣師範の蟹顔は、意外に人の好さそうな表情に変じた。


「おお、待っておったぞ。さあ、上がれ上がれ」 


 板敷の道場に片膝立てした涼馬は、懐から岳遼師の紹介状を取り出した。

「塚原卜伝流の葉山岳遼師範の書状にござります。どうかご高覧くださりませ」


「なになに、わずか10日で卜伝流の奥義を授けられたとな。ふうむ、そなた、なかなかの逸材と見える。だがな、慢心はならぬぞ。武芸の最強の敵は己自身と心得よ」


 羽衣師範は蟹のような笑顔で、ずばっと正鵠せいこくを突いて来る。

 思い当たる節が大いにある涼馬は、かっと頬を火照らせた。

 

「ことに、たかが棒一本と、槍術を侮ったら、いかぬぞよ。棒一本の単純さゆえに、却って八面六臂の働きができる。単純明快な見かけを裏切る、面倒な武道なるぞ」


 言外に、槍術こそ武芸の最高峰と匂わせてみせるのが、涼馬には少し可笑しい。


 口にこそ出されなかったが、岳遼師もまた卜伝流剣術こそ武道一と誇っておられたような……。新米の岡目八目なればこそ共通点が見えるのやも知れぬ。その道一筋の達人にあられればこそ、ご自分の武芸や流派に限りない誇りを抱いておられるのだ。


 涼馬は両師範に、あらためて畏敬の念を深くした。


「では、さっそく稽古をつけてやろう。腰の物を外せ」


 岳遼師は、紹介状で如何様に説明されたのであろうか……。

 羽衣師は涼馬の出自を詮索されず、あっさり立ち上がった。

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