第35話 兄弟子たちに揶揄われても仕官の道ひと筋に励む



 武士にしては小柄で華奢で儚げで……。うっかり触れれば、はらりと散ってしまいそうな撫で肩や、ほっそりした首筋の色っぽい風情など、とても男子とは思われぬ。


 ――もしや、あれか? 

   言うところの御小姓?


 そんな陰口をたたきながら、最初のうちは新入りを遠巻きにしていた稽古場の先輩弟子たちも、3日、4日と経つにつれ、少しずつ話しかけて来るようになった。


「どうじゃな? わがご師範のご稽古ぶりは。日頃は至って温和なお方が、こと剣術となると、いっさいの容赦をなさらず、その気魄たるや不動明王のごとしだからな。あれであろう、そなたのごときやわな輩には、さぞかし堪え難いであろう」


 にやにやしながら近づいて来たのは、5尺3寸の涼馬より首ひとつ分だけ長身で、横幅もがっしりとした、全身にぎゅうぎゅうに肉が詰まったような偉丈夫だった。


「いえ、拙者はさようには思いませぬ。師の一挙手一投足がありがたい教えと……」

 突っこみどころのない優等生めいた涼馬の返事を、大男は明らかに気に入らぬ。


「さような綺麗事を言っていられるのもいまの内さ。その内、こてんぱんにやっつけられて吠え面を掻いても知らぬぞ。まあ、それまでおぬしが保てば、の話じゃがな」

 ぐっと睨み付けると、これ見よがしに肩を揺すり、朋輩の群れにもどって行った。


 かと思えば、朋輩の目を憚るように、人気がないときに、こそこそ近寄って来て、

「何かあれば言うがよい。拙者がそなたを守ってやる。帰りに裏口で待っておるぞ」

 意味深な科白を囁いて行く兄弟子もいたし、群れに紛れ、突き刺すような、揶揄からかうような、媚びるような視線を放って来る者も、ひとりやふたりではなかった。


 ――何だかんだ言って、結局はみなさん、新入りに近づきたいのだ。


 なにしろ女が男に化けたのだから、異質めいた蠱惑こわくを放っているのやも知れぬ。

 だが、涼馬の関心は、武術を極め一刻も早く仕官したい、ただその一事である。


      *


 毎朝一番に岳遼師の稽古場に着いた涼馬は、襷掛けに裸足で、床板を拭き浄める。

 手桶の水に浸した雑巾を手に豆ができるほど堅く絞り、尻を高々と持ち上げ、定規を引いたように床を突っ走る。梅から見様見真似で学んだ、正しき掃除法である。


 稽古の事前事後の挨拶は、あくまで折り目正しく、寸分の乱れも見せてはならないのは言うまでもないし、昼は、ひとり黙々と、梅が持たせてくれた弁当を使った。


 夕刻近くに稽古が終了すると、ふたたび、広い床を箒で掃き清め、雑巾を掛ける。

 新入りの役目とばかりにだれも手伝ってくれぬが、涼馬は淡々と日課をこなした。


 真っ白だった手指は数日で節くれ立ち、かかとにもひびあかぎれが出来たので、「んまあ、高遠小町と謳われた涼馬坊ちゃまが、かような酷い目に遭われるとは……何ともお労しゅう存じます」さんざんに梅を嘆かせたが、仕官の大望しか眼中にない涼馬自身に、手足の荒れなど痛くも痒くもなかった。

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