第15話 母・彌栄にも「武士になりまする」と明言する


 

 その晩、戌の刻。


 小梢は母の着替えを手伝いながら、本日の出来事の一部始終を報告した。

 何事も包み隠さず打ち明けるのが、母と娘の幼いころからの習慣である。


 ――清麿さまの秘密を知られたら……母上は、さぞや嘆かれるであろう。


 だが、母は意外にも幼馴染みの縫殿助と同様に、あっけらかんとさばけていた。

「さようか。清麿殿がそういう事情なら致し方あるまい。小梢、覚えておくがよい。正と負、善と悪……両極を矛盾なく同居させられるのが、人間というものなのじゃ。そなたも、わたくしも、そして、畏れ多くも縫殿助殿におかれても、仏と鬼、両方をそれぞれの胸に棲まわせておる。矛盾を拒まず、すべてを丸ごと受け入れるのじゃ」


 ――少女のように純真な……。


 とばかり思っていた華奢な肢体に、かように強靭な精神が潜んでいようとは!

 母もまた清濁併せ呑むことをよしとする、世慣れた大人のひとりだったのか。


 小梢は知らない人を見るように、薄く上気した母の顔を見たが、そんな娘の気持ちに頓着せぬ彌栄は、さらに思いがけない言葉を、品のいい唇からほとばしらせた。


「確認じゃが、そなた、縫殿助殿のご啓示どおり、武士になってくれるのじゃな?」


 ――えっ!


 小梢は慄いた。


 ひとり娘に真正面から「武士になれ」と勧める母親がいるだろうか。

 ご家老屋敷では、あの場の空気に押され、やむを得ず縫殿助にはそう返答したが、せめて母親には、かたちだけでも引き止めてほしい――それが小梢の本心だった。


 だが、彌栄は、病んでいっそう小さくなった顔を石のように堅く引き締めると、「年頃のそなたに苛烈な無理を強いる不条理は、わたくしとて、よく承知しておる。だがな、これは大命題なのじゃ。わたくしの代で星野家を絶えさせたら、ご先祖さまに申し訳が立たぬゆえ」凛然と言いきって、一歩も譲らぬ気配を色濃く滲ませた。


「もちろん、ほかに婿の候補がおれば……。かと言って、だれでもいいという訳にはいかぬ。どうじゃ、そなたはわたくしに似て、殿方の好みもはっきりしておろうが」

 痛いところを突かれ、小梢には返す言葉もない。


「とにもかくにも、だれかが星野を継いでくれねば、死んでも死にきれぬ。そなたがかような親不孝を看過するとはわたくしにはどうしても思えぬ。な、そうであろう」


 そこまで言われた小梢は明言せざるを得なかった。

「小梢、武士になりまする。武士になって家を守り、兄上の仇討も果たしまする」


 娘の快諾を得た母は、孔の開いた紙風船のように、細く長く、息を吐き出した。

 肉の削げた肩がすぼまり一気に10歳も老けて見えるのが、小梢には切なかった。

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