第14話 ご家老さま、星野小梢、武士になりまする!


 とつぜんの訪問を縫殿助は訝しがりもせず、悠揚と自室に通してくれた。

 人払いして小梢の話を聞き終えた縫殿助は、ことも無げに平然と断じた。


 ――相分かった。(´ω`*)

   ならば、話は簡単じゃ。

   そなたが武士になればよい。


 心底から驚愕している小梢に、縫殿助は恬淡と言い継ぐ。


 ――星野家の後継を託すに足る男がいなければ、そなた自身が後を継ぐ。

   ひとえにそれだけのことじゃ。どうじゃ、理屈は通っておろうが?

 

 人誑しの縫殿助は、地蔵のような微笑を、わるびれもせず小梢に向けている。


 ――このわたくしが、武士に? 

   女を捨て、男になれ、と?


 油に脚を取られた羽虫のような焦燥が、じりじりと小梢の四肢を搦めていく。


「ははは。さような顔をせずともよいわ。納得が行くまで考えてみるがいい」


 縫殿助は、小梢の返答を、決して急かさぬ。

 なのに、小梢は袋小路の鼠の心境に陥った。


 ――人間を、人生を捨てよと言われるに等しき蹂躙じゅうりんでは?


 女郎蜘蛛の巣に掛かった蝶のように、乱れに乱れる小梢をよそに、縫殿助は小娘の戸惑いなど意にも介さぬ様子で「決断するはそなた自身じゃ。無理強いはせぬ。いやなら断ってくれて、一向に構わぬぞ」投げた賽の返答を、じっくり待つ構えらしい。


 若い小梢には、腹芸の巧みな縫殿助が放つ鉛のような威圧感が何とも堪えがたい。

 苦しさのあまり、自分から相談を持ちかけに来た事実を、都合よく失念することにした小梢は、膝の上の拳をぶるぶるとふるわせて、目の前の縫殿助を恨みに恨んだ。


 ――ご家老さま、狡うござります。

   かような難問を、わたくしに。


 理不尽に睨みつけられても縫殿助は頓着せず、どこまでも無垢な表情で問うた。

「どうじゃな。決心はついたか、つかぬか。何なら朝まで待ってやってもよいぞ」


 絶体絶命の境地に陥った小梢は、ついに自らの意思で清水の舞台から飛び降りる。


 ――ご家老さま。相承知仕りました。

   星野小梢、武士になりまする。

   男に生まれ変わって、亡き兄の代わりに家を守りまする。


 縫殿助は浮き世の苦悶を包みこんでくれるような頬尻を、ゆるりとたわませた。

「まこと天晴れな心意気じゃ。その分では並みの武士より立派な侍になるであろう。先が楽しみじゃ。これで星野家も安泰。彌栄どのもご安心を召されるじゃろうて」


 縫殿助は手をふたつ打って、茶菓の用意を命じた。

 ひとまず、これにて一件落着ということであろう。

 だが、果たしてこれで本当によかったのだろうか。


 ――かような大事の結論は、もう少し先送りすべきではなかったろうか。


 氷点下に下がった寒気に弾ける梁の音を、森閑とした思いで聞くばかりだった。


      *


 借りた提灯を翳して夜道を急ぎながら、小梢は割りきれぬ思いを持て余していた。


 ――何か、そのう、ご家老に、してやられたような……。


 百戦錬磨で出世された御身、小娘を掌で転がすなど造作もなかろう。


 ――彌栄殿のためなら、拙者は如何様な骨身も惜しみませぬ。


 臆面もなく吐露する縫殿助の年甲斐もない純心が、いまの小梢には疎ましかった。

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