第10話 清麿宅の巨大な黒猫とマッチョな大男の洗礼


 

 前もって探索しておいた清麿の住まいは、高遠城下の裏小路にあった。

 信じられないほど太った黒猫が、前脚を揃え、置き物のように座っている。


「あら、ちょっとごめんなさいよ。ここの兄さんに用事があってね。失礼しますよ」


 人間に対するように気さくに話しかけながら、巨大な猫の横を擦り抜けようとしたとき、ど派手な縞もようの褞袍どてらを纏った大男が、朱の1枚暖簾からぬっと出て来た。


 全身筋肉のかたまりのような大男は、着飾った小梢にいきなり皮肉を投げつける。

「寅よ。見張り番はそれぐれえにしとけ。先日のしつけえ女は二度と来やあしねよ」


 言われた猫は心得顔に、よっこらしょっとばかりに、重そうな尻を持ち上げた。

 体格そのままの胴間声の男は、険しい目つきを、あらためて小梢に向けて来た。


「あの……浮世絵師の清麿さまは、ご在宅でいらっしゃいますでしょうか」


 恐る恐るの小梢に大男はうんざりしたような一瞥を投げ、無言で暖簾に隠れた。


 かわってひょいと顔をのぞかせたのは、紛れもない清麿本人だった。

 異国の人が着るような、風変わりな、丈の長い作業着を纏っている。

 藍に金や銀、朱、青、緑、橙などの顔料が花火のように飛んでいる。


 ――清麿さま! 


 ぱっと駆け寄りたくなる自分を、小梢はやっとの思いで押し留めた。


「先夜は兄の急場にお越しくださいまして、まことにありがとうございました」

 いつにない優雅な所作を心がけ、深紅色の外套の腰をそっと屈めてお辞儀する。


 日頃は若い武士輩や町人の若衆の熱っぽい視線が、正直、煩わしいだけだったが、今日という今日ばかりは、恵まれた容姿に産んでくれた両親に手を合わせたかった。

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