第6話

床下の石



その年は、秋の彼岸が近くなっても暑さが柔らかず、赤蜻蛉の舞う中を蝉も盛んに鳴いていた。


「暑いのぅ」徳寿院和尚様が、絽の袈裟をはだけながら団扇をバタバタやっていると、小坊主の知念が忘備録の束を持ってパタパタと座敷に入ってきた。

忘備録を繰りながら

「和尚様、有りました有りました。眞島屋様の法要ですが、八年ほど前に先々代の九回忌の法要をなさってますので今年が十七回忌かと思われます。」

と言ってはたと和尚様の方へ顔を向けると、顎を上げてうっすらと口を開け激しく団扇をバタつかせている姿に知念は、眉根を寄せて

「和尚様、心頭滅却すれば火もまた涼し。では無いんですか。」と出来る限り低く響く声で言ってみたが、声変わりもしていない知念は、迫力と言うものに欠けている。

「うむ、よう見つけたな。そうか、十七回忌か。」和尚様は僅かに居住まいを正して

「墨を擦っておくれ。」と、まだちょっと膨れている知念に注文を出した。


眞島屋へ「お忘れかも知れまいが、今年はご祖父の十七回忌であるので彼岸に法要をされてはいかがであろう。」と言う内容で徳寿院の和尚から文を出した。和尚達が、真島屋へ呼ばれるように仕向けたのである。眞島屋はその文を見てそう言えば、近頃店に奉公人が居着かないのは、ご先祖を大事にしないからかもしれないと思い、是非お願いしますと返事をした。

彼岸の法要を目指して作戦を練る為に、徳寿院の面々と心太、御隠居様が膝をつけ合わせて話し合った。

とは言っても御隠居様は、そばに座ってお茶を飲んだりしながら、皆の話を聞くともなく聞いていただけなのだが。

心太が、ふと縁側に目を向けると白狐がちんまりと座って話を聞いていた。心太と目が合うとニヤリと笑って「後で」と声を出さずに口だけで言ってすましている。

今回和尚様は、総本山で修行を済ませて来たばかりの慈海と小坊主の知念を連れて行くことにすると言う。慈海は、壮年の落ち着き払った佇まいで、一通り和尚様の話を聞くと、

「眞島屋様にご事情を話してことを始めましょうか、それとも皆様に眠って頂いてから知らぬ間に済ませてしまうのがよろしいでしょうか。」と和尚様の心づもりを問うてから、順序立てて手筈を整えていく。

そうやってことごとく、意見や疑問に理路整然と答える慈海は、大層頼り甲斐のあるなぁと心太は感心した。和尚様も慈海に任せておけば、今回はさして自分の出番も無いだろうと言う腹づもりでおった。


徳寿院からの帰り、心太が御隠居様の駕籠のそばをついて歩いていると、いつの間にか白狐が並んでいて、「手筈は整ったね。」とにんまりと笑う。

「あぁ、上手く行けば良いが。」と心配そうにしていると、

「私達が出来ることはさして無いんだ、心配しても始まらないよよ。」と白狐は心太の肩をたたき

「ねぇおとめさん」と前を歩くおとめに声を掛ける。

「へっ」と急に声をかけられたおとめが振り向くと、白狐の吊り目が柔らかく下り微笑んだ。町娘の着物姿に白い狐の顔が目に入りおとめは、「はっ」と声にならない声を出して立ち止まる。

「ぎゃっ」と叫ぶと慌てて走りだした。

「騒がしいね。なんだいおとめはしたない声なぞ出して。」と妖の類に縁のない御隠居様は苦り顔だ。

心太が白狐の悪戯を叱ろうと横を向くと

「私しゃ、眞島屋のお稲荷様と打ち合わせておくよ。」と言い残してふわりと消えた。


そして、法要を行う彼岸の中日。

眞島屋では、店先に入った途端に心太が白眼を剥いたと聞いていたので、和尚は警戒していたが、慈海は何食わぬ顔で仏間に入り準備を整えている。

まずは客間に通された和尚は、軽い世間話に絡めて近頃の店の様子をなどを聞き込んだ。

廊下に控えていた知念は、黒目がちの瞳をクリクリと動かしながら、額に脂汗を垂らして必死に話を聞き、周りの様子を観察をしている。


其処へ慈海が、廊下を音もなく歩いて来ると

「整いました。」

と控えめな声で告げる。そして知念の肩に手をのせて小さくマントラを唱えると知念は、食いしばっていた口をふっと緩めて、

「ありがとうございます。」

と慈海に頭を下げる。

「これからかだ。気を引き締めておれよ。」

と滋海は、知念の目を見ずに言い手に力を込める。

和尚様を先頭にして、三人で仏間に入る。

仏間はひやりとしていて廊下よりぐんと空気が冷たく重い。

仏壇の前に座を固めると、和尚が振り返って

「それでは始めますが宜しいか」と眞島屋の面々に問いかけた。

眞島屋は、主夫婦に隠居の夫婦。それに主人の妹達の家族が子供達も含めて八人。番頭さんなどの古参の勤め人達も三名畏まって座っている皆が其々に頷いている。


読経が始まり三人の声が交わり合い、線香の煙がその声に乗って高くたなびいていくと、眞島屋の人々の体が少しずつ揺れ始めた。

がくりと首を折って皆が動かなくなるのを確認すると、知念が仏間の横の襖を一尺ほど開けて寝所を見えるようにする。


眞島屋の仏間で徳寿院の三人が、口では読経を続けながら、目を寝所に向け中の様子を探る。

何も無いはずの畳の上に薄暗い蒸気の塊のようなものが漂ってくると慈海が、膝を進めて襖に向かい手で印を切りながら、今までとは違う音色の声を出しお経も別のものを唱え出した。

襖がたわみガタガタと音が鳴り何かか悶絶しているような気配がする。

和尚様が今までに見たこともない様な素早い動きで、札を出して眞島屋の面々や襖などに貼っていく。

そして最後に主人に向かって印を切りはじめた。

人とも思えぬ声を上げながら主は、前のめりにばたとうっぷす。すると盆の窪の辺りからふやふやふやと、黒い煙が立ち上って揺らめきながら寝所の方へ流れていくが、札が貼ってあるせいか襖にぐるぐるとまとわり付いているだけだ。

知念が主人にも札を貼りこの世のものではない何かから身を守る様にした。

寝所の黒い煙の様な塊は次第に大きくなり寝所の下半分を埋め尽くしている。

慈海が、襖の所にいたものを三鈷杵に絡め取ってそれを持って寝所へ一気に入って行き、三鈷杵が向かうがままに部屋の真ん中の畳を叩いた。

すると、家が地震が起きた如く揺れギィギィと家鳴りがした。

和尚様と知念がその畳を剥がし床板を上げる。下を覗くと、平たいつるりとした黒い石が土の上に乗っている。

「それだ知念」

体の小さな知念が、床下に潜り石を持ち上げ和尚様に渡す。

すると、その下に瓶が埋まっておりゴゴゥと呻く声が響いた。

知念は、身体中に脂汗が吹き出し気が遠のく思いがした時

「知念その瓶をこちらへ」

和尚様が五鈷杵を知念の肩に乗せそう言うと、意識がもどり同時に慈海が読経の声を知念に向けて唱えてきた。

瓶の縁に知念は手を掛けて持ち上げようとするが、地に埋まってなかなか取り出すことが出来ない。

「知念よ無心になるのじゃ」

こんな時に無心になどなれるものかと知念は思ったが、目をつぶってマントラを繰り返し唱えていると、心に平常が戻ってくる。

知念が瓶の縁に手を添えると、みずから浮かび上がり知念の手の中に収まった。その瓶を和尚様が掴んで畳の上へ置くと、ごとごとと瓶が揺れてくぐもった低い唸り声が部屋に響いた。

和尚様が平らな黒い石で蓋をしようとすると、慈海が何を思ったのか瓶に手を入れて中にいた蝦蟇を摑み出そうとする。

「何をする慈海。」

その慈海の赤く濁った目を見た時和尚は、悟る。それはもう慈海でない何かに変貌していると。

蝦蟇の法力が勝ったのだ。

慌てて慈海の手を跳ね除け石で蓋をしようとすると、

「そうはさせるものか」

慈海が唸り、和尚様に体当たりをして来る。

和尚様は必死になって瓶を掴み身体を捻って慈海を跳ね飛ばす。

更に慈海が和尚様に掴みかかろうとした時、先ほど和尚様に跳ね飛ばされた際に落とした慈海の三錮杵を知念が拾い上げ、慈海の額にピタリとつけた。

すると慈海は動けなくなり、食いしばった口の奥から人とも思えぬ唸り声がを上げながら、爛々とした眼差しを知念に向けるのみとなった。

よく響き渡る低い念仏の声が部屋に響く。

その声が知念のものだというのに和尚は一瞬気づかなかった。

中庭に在る祠の中から心配顔で覗いていたお稲荷様は、小さな声で

「今です。」と呟いた。

すると、隠居所の方の裏玄関の木戸が白狐によって開かれ

「やれやれやっと出番のようだね」

と間の抜けた明るい声で、近江屋のご隠居様がつかつかと入って来た。

知念と慈海が対峙しているのが目に入って、それを見つめているご隠居様に、和尚がやっとの思いで、

「瓶に石を」と言ったので、

「はいはい」と落ちていた札をひょいと瓶に入れ石で蓋をした。

すると、慈海はパタリと白目を剥いて畳に倒れ込む。へなへなと知念も座り込んだ。

和尚は、石の上から札を何枚も貼り密閉させ更に縄をかけた。

「これを私が持って行けば良いんだね。」

と言って近江屋のご隠居様が袂から出した可愛らしい梅柄の風呂敷で瓶を包むと、抱えてひょこひょこと裏玄関から出て行った。路地で待っていたおとめが、包みを持った御隠居様を見て

「うひゃあ」と変な声を上げているのが聞こえた。

入れ違いに入って来た心太は、「ご隠居様を頼む。」と白狐に言いつけて中庭のお稲荷様の所で様子を伺う。

小さなお稲荷様は心太を見て

「今、全て出て行きました。」と告げた。二人は目を見て頷きあいながら中の様子に注意を向けた。


気を取り戻した慈海が、法衣の乱れを直し、知念と和尚様は剥がした床板と畳を整えると襖を閉めて仏壇の前に座り直した。

そこで心太も座敷に上がって、和尚様に向き合うと

「こんな大掛かりな事はやった事が無いので自信はありやせんが、やってみます。」と言って、知念によって札を剥がされた、眞島屋の人達が昏倒している側まで行って、心の中で

「皆さん忘れておくんなさい。」と念じながら静かに頭を下げ、丹田に力を込めた。

するとズンと体が重くなった気がしてしかめ面なった。苦しそうな心太を見て和尚様は、

「大事ないか。今度のことは皆眠っていたのでそれ程記憶には残っていないはずだ。」と言いふっと慈海に目を向ける。

「すまながいが、慈海にも大丈夫だと声を掛けでやってくれ。そうしたら後は任せなさい。」

と言われたので、心太は慈海の方へ膝を進めて

「慈海様、大丈夫ですか。」とまだ気が混乱して目がおどおどしている慈海に声をかけ目を合わすと、心の中で「もう大丈夫です」と念じながら、そっと腕に触れた。すると黒く冷たい塊が心太に流れ込んで来た様な感覚捕らわれる。耳の奥で、烏の童歌が聞こえ半分閉じた目の裏に悲しげで恐ろしい顔の女の顔が浮かんだ。

「行け、心太。」和尚様が叫ぶ様に言うと、はっと覚醒した心太は慌ててよろよろとご隠居様の後を追った。

それからは和尚様達は仏間で眞島屋に声を掛け起こすと、眞島屋の面々は、長いお経を聞くうちについ寝てしまったのだと恥じ入って居住まいを正して、顰めつらしい顔を作って、残るお経を有り難そうに聞いていた。和尚達は、迅る気を納めて普段と変わらぬ法要を済ませたが、眞島屋が勧めた茶菓を断って早々に寺へと戻った。

その時店で働いていた者達は、地震があった様ですねと言っていた以外何事も気付く様子は無かった。

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