第5話

草子屋と辻占師


ジージーと地虫がが鳴く。

夕方降った雨が庭木を潤わせ湿った土の匂いが、夏の終わりも近いよと告げている。

飛脚屋近江屋の奥で、御隠居様の肩を揉みながら、心太が聞き込んできた話をし始める。


「ほうぼうで聞いた話によると、今の眞島屋さんの評判はあまり良いくないと言った感じでした。」

「そうかぇ、どう良く無い。あっいてててて、もう少し下を揉んどくれ。」

「あいすみません。そうですねぇ、商売に汚いというか、随分と横暴なやり方をしなさるそうです。それはうちの旦那さんも仰っていたんですけど、眞島屋さんは今の処へ越してきてからは人が変わった様になったって。それで、前の眞島屋さんがご商売をしていた辺りにも話を聞きに言ったんですが、そこでは大層評判の良いご夫婦だった様です。」

「そうだね、私が知ってるのはそっちの眞島屋さんだね。」と言ってから、

「それであの場所のにはどんな話がまとわりついていたんだぇ。」と聞くと心太は、御隠居様に順を追って話していく。



眞島屋が引っ越して来るずっと前今の店に当たる方に草子屋が在った。店主は、口が達者なちょいと様子の良い色気のある四十絡みの男で、何人かの無名の絵師と読み本の作者を見つけ出し、何本もの当たり作を出して商いを大きくしてその地に店を持った。そこまでは良かったが懐が厚くなると、どうにも女にだらしくなくなった。

時折、家に帰って来なくなったり、得体の知れない女が訪ねて来る事が度々起こる。ある時身重の女が来た時には、連れ合いの悋気が爆破して、狂ったように泣き叫び店前で擦った揉んだの大騒ぎをしたものだから、近所の者さえお家事情を知ることとなった。

店の方は、出した読み本の人気が鰻登りで、益々繁盛し戯作者や刷り師など人の出入りが更に多くなる。その分付き合いも激しくなり、商い以外の時間は家に居る事がなくなった。


妻の悋気持ちが有名になったせいか、ある時いかにも怪しげな辻占師が裏木戸に立って、

「連れ合いの悪い虫を納める良い方法がありますぞ」

と言って女将の気を引いた。その時店の者はみんなして

「女将さんおやめなさい」

と袖を引いて言ったのだが、聞く耳を持たず敷居を跨がせてしまい、口八丁手八丁の巧みな話術でその怪しげな辻占師の話をすっかり女将はすっかり信じ込んでしまった。

女将は、その占師に入れ揚げ言うがままに香を焚いたり石を拝んだりし始めた。

ある時、夜中に床板を剥がして土を掘っているのを住み込みの小僧さんが見かけてしまい暇を出された。悪鬼の様な女将さんの姿を見た小僧さんは、歯の根も合わない程怯えてこれ幸いと挨拶も早々に逃げる様に出て行ってしまった。

それを境に、祭壇に置いていつも拝んでいた黒い平らな石が無くなったと気付いたと、当時通い女中だったお松は言う。

拝む声はますます激しくなり尋常で無い声が、家中に響き渡り近所迄も騒がす事になったが、主人は疎ましく思うものの原因は自分に有るのはよく分かっているので、見て見ぬふりを決め込んだ。

女将は、その辻占師を毎日の様に招き入れ日がな一日ぎゃあぎゃあと人とも思えぬ声で何かを唱え、近所からは烏屋敷などと呼ばれ恐れられる様になっていった。

隣の乾物屋は、「本当に近所迷惑な事で、うちの売り上げにも響いちまって何度もどうにかしてくれと言いに行ったんだがね、仕舞いには草紙屋の女房に水まで掛けられた始末でさぁ。」と当時を振り返って顔を顰めていた。

辻占師には金を巻き上げられ、主人は女を何人か囲っているようで店の金を持ち出し、商いも支障が出るようになった。

そんな中、いつのまにか割りない仲になった女将と辻占師は、手に手を取って姿を消してしまう。ほんの束の間静かになった家に、いつぞやの腹を膨らませた女が、子を抱え後添えに入ってきた。

だからといって主人の女遊びが止む訳でも無かったものだから、後妻もいつも気を揉むこととなった。

主人の帰らぬ激しい嵐の夜、子が急な病で医者も呼ばぬまま亡くなった。次の朝、酒匂も抜けぬ白粉の匂いを背負って帰って来た店主を、錯乱した若い女房が詰め寄り泣き叫ぶが、亭主はのらりくらりと言い訳を言い募ってうすらに笑った顔をした。それを見た女房は、頭の中でガラガラと何かが崩れる音を聞き、「何を笑っておいでだい。」と叫び知らぬ間に亭主を包丁で刺して自分も首を刺して自害するという心中騒ぎを起こす事になる。

子が亡くなり、主人も失い草紙屋が潰れたのは、元妻の呪詛によるものだろうと近所ではもっぱらの噂で、店の前を通る時「クワバラクワバラ」と今でも言ってしまうんですよ、と言っている者までいた。

心太が、夢で聴いた唄を知らぬかと尋ねると、その当時近所の子らがそんな歌を唄っていたと覚えている者があった。

そして「そういゃあ、占い師と駆け落ちした元女将が、近所の子らに駄賃を渡して蛇や蛙を集めておりやしたね。ずいぶと気味の悪いことするもんだと当日思ったもんですよ。」と出入りの醤油屋からも話を聞くことが出来た。それならば、蠱毒という呪詛でものしていたのかもしれない。

蠱毒というのは、共食いの末残ったものを瓶に入れ呪詛する方法だ。


心中騒ぎがあった後、何度も家主が替わったが、長く居つく事は無かった。そこへ何も知らない眞島屋が改築をして入居しきたと言う事らしい。


「とまぁ、前の草子屋の呪詛が未だに祟りを起こしていると。そしておいらに悪さしたんじゃねぇかと思うんですが御隠居様どうでしょう。」と手を休めて問い掛けると、御隠居様は、

「手がお留守だよ。」と言ってからひとつ首を回して、

「そうだね、人の思いはことの他強くて長持ちだからね。」と眉を下げて小さくため息をついた。

「まずは、その石とやらを掘り出しておあげよ。」そう言う御隠居様に心太は眉を下げて、

「あっしは、眞島屋さんには近寄れないんで。どうしたらようございますかねぇ。」と聞き返すと。

「えっ、あぁそうだったね。またひっくり返られちゃ事だからね。石を取り除く方法ねぇ。どうだろう掘り起こした後のことを考えたらやはり、祓えらる者の手を借りねば事は収まらないんじゃ無いのかぇ。」と今度はあくびを噛み締めながら御隠居様は心太に言った。


そうなれば、やはり頼りにするのは徳寿院の和尚様しかいない。


そして日を改めて、またもや「お手数で申し訳ありませんが」と頭を下げに行った。

勿論、御隠居様も一緒であったし、和尚様の大好きな近江屋の斜め向かいに在る栃屋の胡桃饅頭も忘れずに持って行ったので、和尚様は餡に擂り粉木で挽いた胡桃を

混ぜた茶色い皮の饅頭を旨そうに一口頬張ると目尻を下げて心太の話に耳を傾ける。

心太が、近所の子ら蛙や蛇を買っていたので、眞島屋の寝所の床下に埋めてあるのは蠱毒に使われた瓶に拝んだ石で蓋をした物ではないだろうか、と話すと

「ふむ、概ねその様なことであろうな。それならばその呪詛に使われた何ものかを取り出して残っていたものを成仏させてやらねばならぬかの。」

「お願い出来ますでしょうか。」

「そうさなぁ、眞島屋さんは我が寺の檀家てもあるし」と顎に手を置いて暫し考えている様子であったが、心太の頼みを聞き入れて始末を引き受けてくれることになったのだ。

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