第3話

眞島屋女将の話


今日は、近江屋の先代五朗平の月命日で、徳寿院へ墓参りに隠居様とおとめが、心太を連れて来ていた。墓参りを済ませた後、久しぶりに外出した御隠居様が買い物をしたいと言って、お付きの心太に荷物を預けて一足先におとめと駕籠で帰って行く。昼餉にはまだ間のある日差しの降り注ぐ門前まで見送りに出て来た和尚様と荷物を抱えた心太が立ち話をしていると、そこへ白狐が現れて、

「ちょいといいですか。」と声を掛けて来た。

二人は、急に現れた白狐に驚いていると

「この間の眞島屋での話聞きましたよ。心太さん、あんたもうちょいとで、魂を抜かれちまうところだったんだろ。」等と言うもんだから、心太は更に驚いて目をパチクリさせていると、そんな事にはお構いなく白狐は、眞島屋で聞き込んで来た話を矢継ぎ早にし始めた。

眞島屋に埋まっている石をどうにかしなければならないと熱っぽく語る白狐の話を聞き終えると、

「おや、人助けを自ら進んでするとは、徳の高い妖だのぅ。」とあはははと和尚は声を上げて笑う。

「笑い事では無いんです。危うく心太は死にかけたんですよ。黙っている訳にいかないじゃ無いですか。ご隠居様が気付かなかったらどうなっていたことやら。」と吊った目を更に持ち上げて白狐は、本気で怒っているようだ。

いつの間にか、和尚とも話しをするようになった白狐は、前より顔が穏やかになってきたようだと思い和尚は、

「あれあれ、儂も随分とほだされたわい。」と内心自分を笑った。



その頃、ご隠居様とおとめは、近頃評判の茶菓子屋や小間物屋などを冷やかしていると、煙草屋の店先で眞島屋の女将にばったり会ったので、

「先日は、うちの者が醜態を演じまして誠にご迷惑をお掛けしました。此処ではなんですから、そうだ家は目と鼻の先ですので、お茶でも召し上がって行かれませんか。丁度評判の茶菓子も手に入れたいところですから。」とご隠居様は如才なく眞島屋の女将を誘う。

女将は、ちょっと迷った風であったが、「それでは遠慮なく。」と小女を伴って近江屋までやってきた。


それまで、どこと無く陰気に青い顔をしていた眞島屋の女将お粂は、隠居所に入ると何故かふっと体が軽くなった様な気がした。

「さぁ、頂き物のお茶ですが、香りがようござんすよ。召し上がれ。」と言って茶と菓子を、御隠居様が手ずから入れて差し出した。

「まぁ、お茶なんて久しぶり。有り難く頂戴致します。」と嬉しそうにして、一口飲むと頬が染まって生き生きとした表情になり、

「なんだか久しぶりに生き返った気が致します。あら、大げさかしら。」とクルリと目を上向けて愛嬌のある表情をしてから、袂を口に当て眉間に皺を少し寄せながら首を振り、

「大袈裟なものですか。いえね、本当に近頃気が臥せって何もやる気にならなかったので、今日は思い切って出掛けてこうして近江屋さんとも久しぶりにお会いできて、生き返った様です。いつぶりでしょうねぇ、こうしてお話ししますのは、以前に飛脚屋問屋組合の講で富士参りと言って小野照崎神社へ詣でて以来でしょうかね。あぁ懐かしい。あの時は楽しゅうございましたね。ウチはまだ小さな店でやっとこ格好がついて問屋仲間にも入れて頂いたばかりで、そりゃ忙しい盛りで自分の事など構っていられやしなかった。それでもあの人と店の者と一緒になって、これからこうしようああしようと頑張って寝る間も惜しんで働いて。だから富士詣では行くときの着るものを決めたり皆さんとお喋りしたり。帰りに食べた泥鰌も美味しゅうございましたね。」と一度開いた口が閉めるのを忘れたかのように、暫く一人で喋り続けた。


ご隠居様は、ふんふんと相槌を打ったり口を押さえて笑ったりしていだが、途中で話を途切れさせる事なく気が済むまで眞島屋の女将を大いに喋らせた。

三杯目のお茶が冷めた頃、

「あらいやだ、私ばかり喋っちまって。」と恥ずかしそうに身を縮め、ふと見た縁側に差す日の傾きに慌てて

「今日は楽しゅうございました。なんだかすっかり気が晴れました。」と何度も頭を下げて暇を告げた。

見送りに出た玄関でご隠居様は、

「楽しい話をありがとうございました。私は隠居の身で暇を持て余しておりますので、またお越しなさいませ。」と声を掛け、小女は、先に帰らせていたので後から帰って来た心太に眞島屋まで送らせた。

心太はこの間のことがあるので、表からではなく隠居所の裏の出入り口まで送って行って、別れ際に

「何かございやしたら、うちのご隠居か、中庭のお稲荷さんにご相談下さい。」と言うと

「あら、お稲荷さんに…ほほほ」と女将を笑わせた。

それから真面目な顔をして、

「暫くは隠居所に住まいを替えたらいかがですか。こちらの方が日の当たりがようござんすから。」と言ってサッと身を翻して帰って行った。

女将は、心太に駄賃を握らすのも忘れ、言葉の意味もよく飲み込めずに心太の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。

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