第二章 ソノオンナ

狩野アザミはパートナーの田辺知英と、

タケシに言い放った。

あまりに酷い、ただそう感じたからだ。

「同じ女としてあり得ないですから」


タケシにしたら、ただ嫁が生活しやすいように、工務店の次期社長である知英にタワマンリフォームの見積依頼をしただけだ。

ましてや、アザミはタケシとは初対面である。

それでも言わずにおれなかった。


ゴミ屋敷の惨状に。


正義感なのか

憐憫なのか

…おそらくは、何もかも手にしている愛美への嫉妬なのだ。

女ってのは嫌な生きもんだ。

見た目だけを磨き、見た目だけが評価される。毒づきながら私もだけどさ、と苦笑いしてしまう。


ここは行きつけの鶴橋市場近くの寿司屋。カウンター10席足らずだが、いつも行列ができている。

アザミも知英も、寿司や焼肉が好きだ。

理由はただ一つ。

素材勝負だからだ。

こねくり回したフレンチやら割烹は、接待絡みで利用もするが、プライベートでは滅多に利用しない。原価、コスパ、人件費などを考えるとわざわざ行こうと思えない。

それに付き合いだして25年、そこいらの夫婦よりも長くお互いを知っている。

今更飾り合う関係でも無い。


「ほんま人生の墓場やな。」

「そうですなあ…、痛々しいなあ…。」

ホテルのロビーで申し訳なさそうに見送りしてくれた、タケシを思い出した。

名物のシマアジ炙りを堪能しながら、光景を反芻する。

見積依頼をしてきた時と、現地調査をした後とで、彼がひと回り萎んで見えたからだ。

「俺、ラヴィさんと話したことあるけど、なんかフワフワしてるというか、ほんまに社長の奥さんなんかな、って思うねんわ。女性敏腕経営者ってお飾りに据えて、実際はアパレルもタケシ社長が回してはると思うんや。」知英が言う。

 正直、経営状態等に口を挟むのなら資料などを貰って読み込むべきだし、そんなコンサル的な仕事は抱えたくない。

面倒や無益なことはゴメンだ。


 でも、あの散らかった部屋……。

 ダイニングテーブルは無くフローリングにはマッサージチェアに洗濯物、床には未使用?の猫トイレ用シーツが数枚散らばり、食べカスの固まったホットプレート、その横に猫トイレ本体が干乾びた数個の排泄物を乗せて鎮座していた。


 その隙間を戯れ合う高級そうな2匹の猫。この状況のなか、部屋中あちこちに、若い頃の写真や、着飾りポージングした写真が大量に飾られているのも異様に感じた。

 カオス、混沌、混在…。

 病んでいるなという印象と渋谷などで鼻を突く、下水臭。そのニオイはタワマンの1室だとは思えなかった。


 生下足炙りを口に運んだはいいが、臭いの記憶は凄まじく、忘れたくて冷の日本酒〈秋鹿〉を枡で注文した。


 華やかな、彼女のプロフィール写真とさっき見た部屋。

結びつけた時に、嫌悪感を超えた怒りがあった。

「あの奥さん、家事放棄だけかしらね?」

「他に、なに?」

「不倫してそう」

「まさか、ないない」


 知英によると、記念日デートは欠かさず、クリスマスも正月も共に過ごしたりする絵に描いたような?夫婦だそうだ。


 だけど

 大切な旦那なら、快適に住まわせたいと思わないだろうか?

 自分の料理したもので、腹を満たしてほしいと思わないだろうか?


 アザミと知英は高校時代からの付き合いで、別の大学に進んだものの、結局は腐れ縁で付き合っている。

 本家は岐阜の造り酒屋だと聞いた。

 両親も、教授に料理教室講師、妹はバイオリニストだ。

 特に金銭やカラダへの執着が無く、サラリとした付き合いが心地良く、今に至る。

それでも家ご飯の時なんかは、得意の料理で饗した。

それはきっと、これからも変わらない。


 アザミ自身は両親と折り合いが悪いものの、祖母が遺した実家をリフォームし、9匹の猫、1匹の老犬と住んでいる。

40半ばを過ぎて、CADオペの請負仕事を知英から貰う。

少々老後は不安ながらも、快適な生活だ。

いついつまでに結婚しなさい、とも最近言われなくなった。

誰からも期待されてないな、私。

きっと知英からも、期待されていない。

まあ、父にとっては弟二人が可愛いんだろうな。父は、多少ある株や土地を適当に子供3人で分けろと前々から言っていた。


タケシ社長は不労所得だか株主だかで儲けていると聞いている。

おそらくこのご時世、アパレル会社社長より多額の安定収入がある筈だ。

そんな旦那に朝から洗濯機を回させる…?

ナニカアル、と直感した。

それは単なる嫉妬と、興味だけではなく、完全なものを壊したいという破壊欲求だと、アザミは感じていた。


         ◇


帰宅してすぐ、アザミは2台あるノートパソコンを両方起動させた。

「今夜はブログから攻めるか」

“La vievieブログ 人生バラ色”

はいはい、あんたはね。


2008年10月から始めたらしい、カラフルな文字が踊る絵文字だらけの画面。

…とにかく自慢しかない。

誤字脱字が多い、辻褄が合わない。

ただ思うことは、外ヅラが異様にいい。でもこれなら騙されちゃう人、多いよな…。

だってタワマンの内扉開けない限り、あのゴミ部屋は見ないんだし。隠すの上手そうだし。


2008年〜2015年、文面には変化や成長は無い。

ただ、あるとしたら…服装。

あと、デザインした商品のテイスト。

フリフリ、フィットアンドフレアからタイトなボディコン(笑)

ペールピンクから赤にシフト(笑)

男が出来たとしたら、この前後だな。

…そしてある投稿を見つけた。

        ◇

「社長、ほんまですか?」

「独り旅行で石垣島に行くって言ってた。なにか見たい景色があるとか…。屋久島もいつか行きたいけど、あなた行かないよねって」

まだ5月頭だというのに冷房が寒いくらいの心斎橋日航ホテルのラウンジで、エスプレッソダブルを眉をしかめて口に運びながら、知英は横に座ったアザミに目配せした。


「それ、いつに、何時発どこから出る飛行機ですか?」

スマホを握りしめて、タケシを問い詰める。

「アザミちゃんには関係ない。放っておいてね」

静かにタケシは告げたが、何も反論させない強さや威圧感があった。


それでもアザミは聞いた。

「私が個人でやることです。本当に一人旅ならそれで安心して、自慢の妻だと今まで通りに思えます。」

テーブルの知英のエスプレッソカップを鷲掴みにして、飲み干した。

たぶん冷めて粘度高くなった液体が、唇や前歯に付着している筈だ。

…お歯黒みたいになっちゃったな失敗…、

「もし、男と一緒なら?社長、もっと自由になるべきです」

言い終えて、俯向いた。


珈琲お歯黒も恥ずかしかったが、何より歪んだ正義感を振りかざす自分自身が情けなかった。


         ◇


タケシから何の連絡もなく、1ヶ月が過ぎた。相当怒らせたのだろうな、と容易に検討はついた。知英の仕事に影響出たら嫌だな…、マイナス補填どうしよう…。


小柄な猫が、お気に入りだったカットソーに開けた孔を見つけた。補修出来そうにも無く、ハサミでウエス用に断っていく。

梅雨明けは、窓ガラスの汚れが目に付く。

最近出番が多くなった、葬祭用の黒いパンプスなんかも、こういう切れ端で磨くと綺麗になるものだ。

貧乏性と言われようが、ついつい空き箱にストックしてしまう。


「7月11日 8時台の関空発ピーチやて。3泊らしいで。ホテルとかは聞いてないらしいわ。それだけ聞いてもおかしな話や。俺なら行かせへんし、ひっぱたいてるかも知れん」


「前もそうやったらしい。城崎温泉な、女友達と二人で行くて。で、その朝旅館聞いたら、忘れた…って。そんなアホな話あるかいな。ほんで旅行から帰ったら、女友達はドタキャンで一人旅満喫してきたって。疑わへんタケシ社長もなあ…。まあ、他人の家庭やからなあ。」


刑事ものドラマの再放送を横目に、素麺を啜りながら一気にまくし立てた。知英は温厚な方だと思うが、さすがに理解し難いようだ。

(ゆで時間50秒厳守)の、但し書きを読みながら三輪素麺を湯がいている。

煮え立つ湯が、城崎温泉の湯元に思えた。

フライング気味にザルにあげ、一気に冷水と氷でもみ洗いをする。

奈良県民秘伝の湯がき方だ。

針生姜と一緒に、素麺を啜りあげていきなり静かになった画面を観る。

ちょうど老刑事が、新人の女刑事と備考をしているシーンだった。


「知さん、私、探偵ごっこしてみるわ」

「はあ?」


どんなウイッグにしようかな?

衣装はOL風?山ガール風?

…私、狩野アザミは一端の私立探偵になったような気持ちだった。


とはいえ、沖縄に行ったこともない。土地勘がない。

まずは協力してくれる人を探すことにした。

ダイビング用オーダースーツをデザイン、縫製している古い友人がいたので、沖縄に伝手が無いか聞いてみた。

明くる日の夕方、十何年ぶりかに会う友人は今はシングルマザーになっていた。


「よくある話、旦那が若い彼女作ってね。子供が出来たから別れてくれってさ。この子達もアンタの息子よ、ってね。」

4年も前のことらしい。

隣町に住んでいるのに、知らなかった。


友人、雪絵は明るく笑い飛ばしながら、ケンタッキーフライドチキンでフィレサンド片手に屈託なく笑った。

二人の息子たちも、静かにナゲットとポテトに上手にケチャップを浸けて食べている。


なるべく簡潔に理由を説明した。私の黒い部分は、隠して説明した。

その場でシールが沢山ついたスマホを取り出し、雪絵は電話をかけた。

「ハマちゃん、久しぶり。ハマちゃんのお兄さん、探偵してなかった?沖縄は儲かるとかで三重から移住したのよね?今も向こう?」

真っ白な八重歯を覗かせて豪快に笑う雪絵は、昔のままだった。

面倒見がいい、お姉ちゃん。

口達者で手が早くて、妙に冷めた私をいつも周りに溶け込むようにしてくれた。


レシート裏にペンを走らせて、メモしている。

生徒会長をしていた雪絵ちゃんらしい、堅い字だった。

“濱口泰史 0908244XXXX 20時〜”

「ハマグチヤスシ。伊勢のダイビングショップやってる子のお兄さん。元々は別れた旦那の友達なんだけどね。今は私と仕事してるからさ。」

「ありがと、雪絵ちゃん。」

「怖い顔して説明するから、協力しちゃったわ。相変わらず目力強いんだもんアジャ…。」

「それやめてよ…。」

私は、アザミでアジャと呼ばれていた。当時の女子プロレスでアジャコング、というレスラーがいたから。

しかも当時私の父は、柔道5段の腕を見込まれ、放課後の小学校を利用して柔道を教えていた。

まあまあ体格の良かった私は…

アジャ。

必死で中学入学までにダイエットして、見事中学デビュー。

懐かしい。


リバウンドしかけの二の腕を揉みながら、暫く旧友との時間を楽しんだ。


20時過ぎ、濱口氏の電話を鳴らしたが出なかった。

22時半過ぎ、やっと連絡があった。

事情と、依頼内容を淡々と説明した。

前金の振込先などが、SMSで送られてきた。きちんとしているようだ。

契約書類は明々後日には、手元に届くそうだ。宜しくお願い致します、と言いかけた時に、彼は言った。


「その便名、時間、航空会社、本当に正しいですか?」と。


経験が浅い私立探偵アジャには、

まだその意味が分からなかった。


        ◇

始発リムジンで、関西国際空港第2ターミナルに向かう初老の女、に擬態してみた。

祖母が愛用していた、白髪多めのウィッグに銀縁メガネ。

藍染めにパッチワークが施された長いワンピースに、ベージュのスニーカー。

ふた昔は前のトラサルディの小振りなリュック。

片手には撮影する為だけの、二つ折りのガラケー。

顔にも目立つ位置につけボクロやらシミ、マリオネットラインをアイライナーで描いてみたら、思いのほか上手く化けれた。

車窓に映る、一気に老化が進んだ顔を見て少々落ち込んだが、これならバレない。


8時20分発なら、7時40分にはチェックインが必要だ。

おそらく荷物を預けるだろうから、7時半には便が特定できる。

そうしたら探偵に、連絡して…。

今日の段取りを反芻する。


それから何台リムジンバスが、やってきただろうか。

ターミナルのデジタル時計は8時を差している。ナニカオカシイ。


握りしめたスマホが震える。

【7時半過ぎに自宅マンションを出たらしい】知英からのLINEだった。

…ということは。

ピーチを利用することは無い。

検索機能を使って、朝便の石垣島行きを調べる。9時前後の便…。

ANAの直行便を見つけた。

勘に頼るしかない。

急いで第1ターミナルへ向かうバスに乗り込んだ。


よくよく考えたら、ああいうオンナが激安ツアーを利用するなんて有り得ない。

旦那に内緒の日帰り東京で、往復グリーン車に乗るようなオンナだ。

腰を据えて、ANAのチェックインカウンター付近で待ち伏せることにした。

待つこと30分。

ど派手なターコイズブルーに極彩色の花々が散るリゾートドレスの女がカウンターで荷物を預ける手続きを始めた。

ヒールの高いグラディエーターサンダルを履き、ツバの広い女優帽とサングラスの180センチ近い大女。

私は圧倒された。

美しいとかそういうのとは違う、威圧感だった。


LOUIS VUITTONモノグラムのスーツケースを預け、いかにもリゾートな透明バッグのみを肩にかけており、腰まである長い髪はドッシリと艶もあり、歩くたびに揺れて主張していた。

彼女はドラッグストアに立ち寄り、なにやら小さい小箱や日焼け止めを購入しているようだ。


本当に一人旅なのか?

でもそれなら、便名を偽る意味がない。未だ彼女は“ヒトリ”で行動している。

エスカレーター横の柱、その脇のベンチに影を潜めて対象者を凝視した。


遠目から見ても赤が毒々しい指先。

iPhoneを操作しながら、出発ゲート、搭乗口に彼女は歩き出した。ヒトリで。


…腑に落ちない

アザミはすぐに濱口探偵にLINEした。

ANA○○便、

服装は派手な明るいブルーに大きな花柄。

身長が高い、

編み編みのヒールサンダル、

透明のトートバッグ、

サングラスに、大きい帽子、

預け荷物はLOUIS VUITTONのキャリー。

便名と特徴を明記した。


あとは現地の濱口探偵に頼るしかない。


        ◇





























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