07話.[どうなんだろう]

「もう19時か」


 ベッドの上には紗絵が寝ている。

 寝顔も苦しそうというわけではなく、ただ疲労回復のために寝ているみたいだ。


「紗絵、入るぞ」


 あ、どうやらお父さんが帰ってきていたらしい。


「なんだ、まだ寝ていた……のか」

「こんばんは」

「ぎゃっ――」


 失礼だとは分かっているけど病人の娘さんが大声に反応し起きてしまうよりはマシだ。

 思いきり押さえて悲鳴をかき消す、確かに驚きたくなる気持ちは分かるけどね。

 少ししてから手を離したら「すまない」と謝られたうえに悲しそうな顔をされてしまう。


「今日も来てくれたのか」

「はい、心配だったので。あ、お昼ご飯は食べてもらいました」

「そうか、ありがとう」


 お父さんは1回彼女の頭を撫でてから「頼む」と言って出ていった。

 そりゃ心配になるよね、大事な一人娘なんだもん。

 お母さんがいないのであればなおさらのこと、家事とかをやらせることになってしまうことが引っかかってしまっているのかな。


「ん……いま何時?」

「19時だね、いまお父さんが来てくれたよ」

「うん、それはあの優しい手つきで分かったよ」


 両親が撫でてくれたり、信用している雪那に撫でられるのは好きだった。

 みんなそういうときは凄く柔らかい表情を浮かべてくれているから。

 だから私もそう感じてほしくて、姉として彼女の頭を撫でる。


「ん、和泉のは違うかも、わたしに触れたいだけだね」

「えぇ、安心してほしくてしているのに、ちゃんと優しい手つきでしょ?」


 別にそんな独占欲は働かせていないよ。

 お父さんが帰ってきたのならこれ以上ここにいても負担をかけるだけだしね。

 で、去り際には頭を撫でてからというのが普通だろう。

 自分が風邪を引いたときによく母がしてくれて安心できたからね。


「それじゃあね」

「……なんですぐに帰ろうとするの」

「これ以上いてもなにをしてあげられるというわけじゃないからね」


 おまけに雨が降っているから早く家に帰りたいのだ。

 どうせ優しくしようとすると可愛げのないことを言うしね。


「私は雪那ってわけじゃないからね、それじゃあね」


 これは別に拗ねているというわけではない。

 あまりにも暇すぎるからそれっぽいことを理由にして帰りたかった。

 お腹も空いたし、お互いにとっていいことなんかなにもないから。


「おぅ、風が強いな」


 傘の意味がほとんどないけどそこはまあ柔軟に対応をしていく。

 本当にこれで風邪を引いたら馬鹿らしいから。

 少なくとも昨日のように直接濡れているわけじゃないから大丈夫だろう。

 と、考えていたんだけど……。


「風邪引いちゃった……」


 母がずっと一緒にいると言ってくれたけど断った。

 自分のことで時間を使ってほしくはないから。

 だからつまり私は馬鹿で、そして馬鹿ではなかったようだ。

 馬鹿は風邪を引かないってよく言うしね、テストだって平均80点を越えてたし。


「ご飯食べよ」


 辛いわけではないからご飯を食べて寝ていればいいだろう。

 自分で作って、


「寝てなきゃだめだよ!」


 母にそう言われても自分で作ってゆっくり食べた。

 だって時間を使ってほしくないんだから仕方がない。

 それに熱が出ただけで怠かったりするわけではないのだ。

 少しふわふわとした感じがするだけでね。


「もうトイレとか以外ではずっといるからっ」


 で、なんか逆効果になってしまったことをすぐに悟る。


「大丈夫だから」

「だめ」

「せめて自分の好きなことをしててよ」

「拒否します」


 心配をかけたいわけではないから大人しく寝ていよう。

 それで大体、学校が終わる時間になったときのことだった。


「大丈夫ですか?」

「あ、順子来てくれたんだ、ありがと」


 いつの間にか母が消えていて代わりに順子がやって来てくれた。

 紗絵はいないようだけど気にならない。


「お母さんから『監視をしていてね』と言われたのですが……」

「あ、気にしなくていいよ、それよりあんまり近づかない方がいいよ」


 風邪を引いて休むことになったら皆勤ではなくなってしまう。

 ちなみに私がそうだ、別にそこまで拘っていないけど気になるね。


「それならここで、外で付着した菌で和泉さんの体調が悪化しても嫌ですから」

「今日はどうだった?」

「体育でバスケをやりました、そうしたらパスを上手く取れなくて……」

「難しいもんね、私がしてもそうだったと思う」


 それどころかおでこにバンっと当たってうぅとなっていたことだろう。

 紗絵はどうしたんだろう、運動能力が高いのは分かっているからバスケ部の人達と同じぐらいとまではいかなくても上手にやったのかな。


「あ、紗絵さんは今日体調を治して登校してきました」

「それなら良かった」

「ただ……遊びに行くからここにはこれないと」

「いいよいいよ、他を優先してくれと言ったのは私だからね」


 ただ熱が出ているだけで苦しいとかだるいとかそういうのもないし。

 順子が来てくれただけで十分嬉しいよと言って笑っておいた。


「ご飯食べてく? 食べていくなら作るけど」

「いえ、あまり遅くに帰ると不安にさせてしまうので」

「そっか、じゃあ来てくれてありがとね」

「あの、明日は……」

「行くよ、熱が出てても行くよ」


 母に迷惑をかけるだけなら学校に行った方がいい。

 喋らずにマスクでもしていれば移してしまうこともないだろう。

 休み時間になる度に教室を出るとかやりようはいくらでもある。

 家にいると退屈すぎて仕方がないからその方が絶対にいい。

 ま、その際は難関を越えなければならないんだけど。


「お熱は治ったの?」


 翌朝、玄関のところで仁王立ちしている母と対峙していた。

 こっちはご飯も食べて準備を済ましている状態なのでもう行くだけなんだけど……。


「大丈夫だよ、さっきだってお母さんが作ってくれた美味しいご飯を食べたじゃん」

「何度?」

「7度2」

「それじゃあだめでしょ」

「これぐらいが平熱の人もいるから、マスクをしていくから大丈夫だよ」


 なにかがあっても頼らないから大丈夫。

 どうせ教室ではひとりでいるんだから問題もない。

 授業を受けられないことの方が問題だろう。

 なにかがあったら遠慮なく頼るという条件付きで行っていいことになった。

 昔からそうだ、熱が出てもなにか症状が出るというわけじゃないんだよね。

 昨日はあれで8度を越えていたから母が厳しく対応してきただけにすぎない。


「あ、おはようございます」

「うん、おはよ」


 挨拶ぐらいはノーカウントにしてほしい。

 結構遅くに出てきたのもあってちゃんと紗絵も登校してきていた、当たり前だけど。

 SHRが終わり10分休みに。

 一応念の為にあんまり近づかないでと言ってあるから順子が来ることはない。

 考えた通り教室外で過ごす、戻って授業を受けるを繰り返して。


「美味しい」


 母作のお弁当を食べてゆっくりと過ごす。

 保温、保冷に優れた水筒だから温かいお茶を飲むことができるのも大きい。

 そういえばお昼休みに順子はお弁当袋を持ってたまにいなくなるけどどこで食べているんだろうか、友達なんだから今度遠慮せずに聞いてみようか。


「いた」

「よく分かったね」


 あんまり目立ちたくもないから結構上まで来ていたのに。

 しかも実際に上がってみないと分からない角度のところにいたのにね。


「隣いい?」

「あ、ちょっと離れて、また風邪を引かれても嫌だから」

「え、まだ治ってないの?」


 うーん、どうなんだろう。

 基本的に体温を計るような性格じゃないから基礎体温が上がっていただけかもしれない。

 ま、それでも風邪を引きやすい少女には自衛させておかなければならないからこれで。


「そういえば雪那に連絡してみたんだけどさ、普通に元気そうで良かったよ」

「そっか」


 あの子から連絡がくるということはあまりないから私も今度してみようかな。

 これはお互いに携帯を契約してもらっていた中学時代から変わらない。

 本当に大切なときだけは連絡してくるけどね、もうちょっとしてくれてもいいよね。


「今度また雪那に会いに行くって言っておいた」

「そうなんだ」


 私としては早く夏になって夏休みになってくれたら嬉しい。

 合法的に休めるのが素晴らしいから、やることがなさすぎて困るときもあるけども。


「あ、昨日体育でバスケがあったんだけどさ、ひとりで20点も決めちゃった」


 決して独りよがりになったわけではなくボールを彼女に集めてくれたということを慌てて説明してくれたけど、私からすれば壁にでも話しかけているのかなとすら思えるぐらいの一方通行のように感じて微妙な気分に。

 多分、本人もなんでこんな話を私にしているのか分かっていないと思う、ネタがないから適当に昨日あったことを吐いているだけなんだろう。


「ごちそうさまでした」


 お弁当箱を片付けて最後に温かいお茶を飲んだら終わりだ。


「教室に戻るね」

「それならわたしも戻るよ」

「そっか」


 多少の熱が出ていようが変化はなにもない。

 ただ他の子と同じように授業を受け、放課後になったら帰るだけ。

 結構部活に所属率が高いクラスだからすぐに帰れる人間は少ないけど。

 教室に戻ったら彼女は数人の同性と楽しそうに話し始めた。

 私はそちらから意識を外して意味もなく前を見つめる。

 ……雪那か、本当ならまた会いたいけどその際に出てくる寂しさが邪魔になるだけだからな。

 向こうにとってももう新しい生活を始めているのに旧友に来られても困るだろうし。

 だからやはり自分の意志で来てくれない限りは行くべきではないと片付けた。

 午後の授業は現代国語と数学Ⅰだった。

 前に出て答える~なんてことにもならずに集中しているだけで終了し放課後へ。


「寒い……」


 ふっ、いまさら異常が出ようがもう手遅れだ、わははっ。

 内でなんとか盛り上げ、最後まで自力で今日という日を乗り越えることができた。


「ただいま」

「おかえり!」


 母はいつでも元気そうでいいな。

 父にもそう、これからもそのまま元気のままでいてほしいと思う。

 もしいつか死んでしまうのだとしても私よりも後に死んでほしい。

 親不孝と言われても仕方がない、ふたりがいなくなった世界で生きても意味がないから。




 翌日は至って健康体だった。

 体育の時間のバスケではと言うと。


「あいたっ」


 味方からのパスを手で弾き予言通りおでこにぶつかり。

 相手を追っていたら仲間にぶつかり。

 ボールを追っていたらオフェンスとディフェンスがかわり意味のない方へ走ったり。

 とことん無能っぷりというのを見せつけていた。

 ま、これで順子が恥ずかしがるようなこともなくなるだろう。

 だってもっと酷いのがここにいたという話なんだからね。

 おでこが赤くなっているから休んでいてと言われて休んでいるけど、暗に使えないから入ってくんな、つかなんで存在してるの――とまではいかなくても迷惑がられているだけだよねと。


「和泉、さっきのはさすがにフォローできないよ……」

「別にいいよ」


 みんながみんなできるわけじゃないんだ。

 仮にできるのであればもっと競技人口が増えて不人気とか言われてないよねという話。

 体育の先生だってちゃんと授業に参加していれば怒ってくることもないだろうから問題ない。

 

「って、なんで今日もまたここでお弁当を食べるの?」

「別にいいでしょ」


 意外とゆっくり食べられるから好きになったんだよ。

 今日もまた温かいお茶を持ってきているからまずはこれを少し飲んで落ち着かせる。


「紗絵ー……って、なんでそんなところにいるの?」


 下にいる子からはこっちのことは見えていない。

 なので彼女の足を攻撃して向こうに行かせることにした。

 よく考えたらぺちゃくちゃ話しながら人が作ってくれたご飯を食べるのも失礼だし。


「ごめん、今日はここで食べるよ」

「そうなの? じゃ、また放課後に」

「うん」


 別になにがあるというわけじゃないけど距離を作る。

 彼女が追ってくるということならわざと離れる。


「なんでそんな無駄なことするの?」

「そっちこそどうして断ったの? いつもこんなところで食べないじゃん」

「いいじゃん、こうしてお弁当袋を持ってきているんだからさ」


 結局彼女は私の横に座って食べ始めてしまった。

 逃げられないのならなるべく反対の端に移動し座って。


「はぁ、なんでそんな警戒してるの?」

「この距離感が普通でしょ」


 最近、仲があんまり良くないって分かってしまったんだ。

 こうなればあの約束だってないものになり、それぞれの生き方をするだけなのは容易に想像できる。


「もういいでしょ、さっさと思っていることを言って他の子と楽しんだらどう?」

「え、そんなネガティブな思考しちゃう? まだ体調が悪いんじゃない?」

「風邪は治ったよ」


 中途半端な関係はお互いにとっていいことがないからはっきりとしておきたい。

 で、結局のところこれもまた勝手に期待して勝手に失望するルートに入っている。

 だから私が醜く八つ当たりをしてしまう前に離れてほしいのだ。

 そして彼女にとってそれは簡単だろう、一緒にいないことの方が多いんだからね。


「紗絵のために言っているんだよ、他に優先したいことがいっぱいあるみたいだからね」


 なんかぽんこつだってよく分かったからそんな人間に時間を使ってもらうのは申し訳ないし。


「わたしが実際に離れたら寂しがらない?」

「ま、大丈夫なんじゃない? もう3ヶ月目だからね」


 最後に一緒にいてくれたことを感謝し、片付けて戻ろうとしたらできなかった。


「そんな寂しいこと言わないでよ」


 と言って強く握ってくる彼女。

 そこにあるのが単純にイライラとかだけだったら良かったんだけど……。


「離して」

「やだ、だって和泉がどこかに行っちゃう」

「いいじゃん、他の子や順子がいてくれるんだから、なんなら雪那とだって会えるでしょ」


 相手が私である必要性が分からない。

 だから忘れてしまえばいい、こっちに言ってきたこととかは忘れてあげるからさ。


「和泉じゃなきゃだめなんだよ」

「じゃあなんで来てくれなかったの?」

「それは……遊びに誘われていたから」

「うん、分かってるよ、他を優先してくれと言ったのも私なんだからね」


 せっかく高校生になったんだからそりゃ自由に遊びたいよね。

 家ではお父さんが帰ってくるまでひとりだから寂しいよね。

 所謂普通の健全な遊びなら誰も止める権利なんてない、ちゃんと学校に行っていればね。


「だからいいんだよ、これからもそうしてくれれば」

「……和泉の言い方だともう自分は関係ないから的な感じに聞こえるんだけど、わたしの人生なんだからわたしの好きなように行動してくれればいいって言ってくれるのは嬉しいけどさ」

「期待しても雪那のときと同じでだめだって分かったからだよ」


 彼女はこちらの腕から手を離して俯いてしまった。

 私程度がとか卑下するわけではない、事実そうだから口にしているわけだ。

 もちろん働きかけはした、なるべく一緒にいようとした。

 でも、相手にはたくさんの友達がいて踏み込めるスペースがなかったというか、友達のままからはどうあっても変わらない的な感じで。


「紗絵が本当にしたいことをしてよ、それじゃ」


 いっぱいあるでしょ、いつも盛り上がっている友達の中から求めるとか、中学時代の友達に求めるとかさ。

 よっぽど彼女のことを理解してくれて、中にはできない人もいるかもしれないけど家事とかもできちゃうそんな優秀な子がさ。

 あんまり関わっているところを見たことがないけど年上を狙うのも悪くないと思うんだ。

 コミュニケーション能力はとにかく高いからなにも問題もないだろう、出会ってその翌日には名前で呼んじゃうぐらいの子なんだから。


「わっ」


 あ、危ない……もう少しで踏み外すところだった。

 むかついて殺そうとでもしていたのかと思って戦々恐々としていたら……。


「なんで急に?」

「……これが本当にしたいことだから」


 それならせめて階段を全部下りきってからにしてほしかった。

 さすがに危なすぎる、なんらかの怪我をさせたいということなら正解だけど。


「と、とりあえず離れてよ」

「やだ」

「分かったから、離れないから離れて」


 ふぅ、かなりひやっとしたから助かったよ。

 もうジェルシートなんか目じゃないぐらいにはひやっとした。

 ひゅんとしてどうしようもなくて、実際に落ちていたら終わってたね。


「げっ、な、なんで泣いてるの……」

「……あまりにも和泉が酷いことを言ってきたから」


 酷かったかな? それどころか彼女のことだけを考えて言っていたけど。


「ほら、頭を撫でてあげるから」

「そういうのをマッチポンプって言うんだから」

「あはは、すっかりいつも通りだね」


 ただまあ、嘘泣きではないんだろうなこれ。

 なんだろうな、彼女のこの感じってすっごく中途半端で嫌だった。

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