26歳からのやれやれ系主人公

@ikijinohimago

第1話 

「祝 離婚成立!」

 

 近所のファミレスでの話だ。

声高らかに店内に響き、聞こえた歓喜らしき声は、まだまだ人生が半ばも過ぎてないであろう旦那様と婦人様のグラス合わせの音頭であったらしい。

どよめく店内で中には、彼らをスマホで動画を撮っている中高生もいる。

もし俺が彼らのように中高生なら躊躇なく、人様の雑音で携帯のメモリを消費するんだろうか…しなくもない気がした。


なんというのやら、この両名を見ているとこの店にいる全員にリテラシーという概念が無いようにも思えてくる。

素直に、26歳 未婚である俺【山田英雄】は

その光景を嘲笑した。

この時、過去の残響と自らの性格が災いし、全く同じことを2年後見る羽目になるとは思っても見なかったが。



ー山田の日記 29ページより抜粋ー





ー1ー



「俺、昔ねー、めっちゃモテとったんよお婆ちゃん!」


「あらー!たしかにヒデオくんはかっこよかもんねー!!」


決して自慢ではない。

慢性期患者様(長期入院をされている患者様)との、ごく一般的なコミュニケーションだ。理解していただきたい。


俺の名前は、山田英雄。

性はヤマダ 名はヒーロー。

26歳医療従事者で、彼女はもう9年はいない。


勤務先は九州リハビリドリームセンター。

勤務年数は4年、大学から新卒でここに来た。

地元でも大きな病院だ。

しかしながら、給与は基本給21万から税金年金保険料引かれ、通帳に記帳される金額はわずか16万ちょい。

そこから奨学金を返して、家賃食費ガス水道光熱費を削っていくと残るのは3万。


「何ができるってんだよ…全く。」


ぼやいても始まらない。

しかし、ぼやきもしなきゃやってられない。

今使っているケータイだって無料ではないし、悲しいことに文明の利器から人権を獲得するには残り少ない残金から毎月nu様に8800円を献上しなくてはならない。

就職祝いに貰った4年もののブランド財布が本来の価値よりも、1/4も少ない額しか財布にはマックス入ることがない。


「…昔はモテてた…か。」


帰りのバスの中、一人考えに更けていた。


…昔、17歳の頃、俺にとっては栄光の時代でもあった。

明日の飯を考えることもなく、鬱屈さや、怒りの感情は全て学校とその他教師に向け、自己責任という言葉からは何千マイル離れているであろう場所から、世間様を見下していた。

そんな中、何かに没頭してもなかなか続かなかった17の俺は、謎多き部活、文芸部に入部した。

なんというか、女子しかいなかったので

どう避けても頼られ、どう当たっても良い感じになる。最高の空間だった。


そんな彼女たちとはもう8年も会っていない。そんなものだ、学生の縁、とりわけ男女の縁は切れやすく、壊れやすい。悲しくも必然だった。



その夜、薄暗いワンルームでSNSを無意味に更新していると【ある配信サイト】のURLが引用で流れてきた。


『ニート女さんを親がガチギレしてるwww』

というタイトル。

まだ配信しているようで、サムネイルから、もう親の悲痛な声が伝わってくるようだった。


「ニートいいなぁ。俺もニートしてえなぁ。」


俺は何も考えずにリンク先に飛ぶURLを押した。押してロードが重なる時間、ただ暗い待機画面に暗い顔をした自分が写り、なんとなく気持ち悪かったので、病院スマイルをニコッとしてみる。

だいぶんマシになった顔を見ると同時に、作り笑いが上手くなった自分に少しだけ社会成長を感じた。


そして配信が始まる。


《だから!!働くって言ってんじゃんカス親!!!》


「きたきた。ひどい言いようだな、たく生かしてもらっている分際で…」


こういう動画は自己肯定感を高めてくれる場合がある。

最底辺を見ることで、最底辺にはならないようにしようという最低人間の発想である。

最低人間でも正直構わない。そんなこと構わず今はこの親子の行く末を見届けたい。

そんな気持ちで、配信を見ていると、ニート娘が勢いよく立ち上がり、腰が全く入っていない姿勢ガタガタの右ストレート左ジャブを放ち始めた。


《でて行けクソ親父!!わたしには夢があるんだよ!!!》



「親を病院送りにするのが夢かよ…あー、やだやだ。こんなのが患者になったら



その瞬間だった。

ニート娘の右ストレートがニート娘の親父に放たれたのだが、親父さんは華麗に回避。

柱に右ストレートが迫った。


「は、柱の前だぞ!?」


どこかで聞いたセリフがどこからか出た。

そして、聞いたことのない鈍い音がニート娘が殴った柱から反響し、マイクに収音した。

ガコンッみたいな…すごく痛々しい音だった。



《いたぁぁぁぁぁぁぁ!?!?》


「あーあ…」


自然に口から出た。

痛そうに。



《だ、大丈夫か!?久美!!!ち、血が!?》


「…うん?」



コメント欄は父親が呼んだ、本名らしき名前で埋め尽くされる中、俺はある記憶がフラッシュバックした。


「…ん、え、え、えちょっ」


フラッシュバックしたのは、高校の文芸部の光景


ー「あたしには夢があるんだよ!」ー


と豪語していた…部員…名前は。


「定女川(さだめかわ)…く、久美!!」


配信が切れ、画面は再び暗転した。

先ほどよろしく、暗転した画面には私めの顔が鏡のように映るのだが、そこに写っていたのは他人の不幸を喜ぶ顔でも、病院スマイリーな英雄くんでもない。


ただの、びびったおっさんだった。



ーーーーーー



翌朝の早朝カンファレンス。

まるで悪夢を見たような顔で、出勤した。


(夢だ。夢であってくれ!)


我が病院九州リハビリドリームセンターでは、大変便利な電子カルテという患者様のデータを一括管理できる院内ネットワークサービスが存在する。

まずは、ログイン→次に急患情報を見る

すると、昨日に救急車で運ばれてきた患者様の入院状況が一目瞭然で確認できるのだ。

画期的だが、この時ばかりはこの文明の利器を恨みたくなった。

なぜなら、ニート娘…改めて【定女川久美】の名前が元気いっぱい急患リストに載っていたのだ。

これには思いがけず情けない声が出た。


「…あ、ある…ぅっ。定女川(さだめがわ)…久美…。えっ、右手めっちゃ骨折してる…しかも謎に腰も壊してる…」



それはもう見事なまでの破壊だった。

なぜ、人はここまで拳を破壊できるのだ?と問いただしたくなるレベル。

しかも骨折の理由に関しても、「柱を殴打し、骨折」としっかり書いてある。

もう俺の見た光景と、この現実が悪夢ではなかったことは避けようのない事実となっていた。


避けられない。


会ってもいいが、本能が…それはやめておけと叫びたがっていた。9年前ならいざ知らず

、身の振り方を間違うと積み上げてきた社会が音を立てて壊れちまう。

それだけは絶対に避けたいと強く感じ、そのままパソコンのマウスを握る手が強くなった。

カーソルが震えて、動揺がわかりやすく表出していた。

震えるカーソルに気づき、ゆっくりと力を緩める。


(何動揺してるんだ、俺は。)


動揺を痛感し、落ち着きを取り戻すのに時間はさほどいらなかった。

水筒を開け、蓋に水を注ぎ、それを舐めるようにゆっくり飲み込んだ。


すると、落ち着いたからなのか、自分の中にこんな言葉もゆっくりと込み上がってきた。


(あ…こんなんだから…定女川や、他の奴とも距離とっちまったのかな…)


栄光とは真逆の、罪悪感に似た感情。

自分の中で育ててきた常識に似た非常識を相殺して誰かに謝っているかのようだった。


がしかし、やはり我が親父に殴りかかる社会不適合に加え、同級生のリハビリなんて出来るだけ…出来るだけ避けたい。

本能であり、理由や理屈は…ない。


けれど、現場はそんな一人の一感情では動いてはいないのも事実であり、その日に限って俺のリハビリの担当枠が空いていることも…事実であった。

つまり、本人がリハビリを希望した場合、

対応をするのは必然的に俺になる。

主任頼む…届いてくれ…この想い!


「山田くん。【なんとか川 久美】、さん、頼めます?とりあえず折れてるからさ、くっつくまでは指導とかだけど。」


主任はいつものように、表情一つ動かすことなく、俺に新患を渡してきた。


「はい、わかりました。へー、同い年なんですねー。可愛かったらいいなー。」


「あら、手を出したらダメよ?」


「まさか、ご挨拶してきますね。」



こうなったら定女川には早く治して、早く帰ってもらう。

それがそもそも病院として、患者にとっても正しいのだ。俺は医療従事者として真っ当だ。


「すいません、この病室の定女川さんなんですが、今大丈夫でしょうか。」


ナースに尋ねる。

万が一、清拭がおこなれていたらシンプルに困る。


「はい、問題ありませんよ。ご挨拶ですか?」


「そうですね。やはり急性期は時間が命ですので、少しでも情報があればいいかと。リハ開始自体は2週以降かとは思うのですが、患者指導だけでもと。」


「了解しましたー。」



ナースから許可をいただくが、入室…がなかなかどうして手が止まる。

もしかすると、ノックをしたら、この夢からは醒めるのかもしれない。

悩む俺を見て、ナースが声をかけてきた。


「山田さん?」


「あ、はい。行きます。」


なんでもいい、これがたとえ9年前のやり直しでも構わない。

栄光と呼ぶなら、モテてたと感じているなら

向き合え!山田英雄!



「定女川さん、開けますよ。」


大きく

ノックをする。

ドアを開け

大きく踏み出す。


たったそれだけだった。

すぐにベッドサイドにはたどり着いた。


何回も何十回も見てきた顔がいた。

ほとんど変わらない…あの時の定女川久美だった。

定女川もこちらを見た。なんというか、不思議な時間が流れた。

5秒くらい流れた後で。


「…山田?」


と久美は小さく俺に尋ねた。


「はい。」


と俺も小さく返した。


「こんな場所で…働いてるの?」


「たく、そっちは患者か?全く…忙しないのは昔から変わらない


その時だった。

俺がいい終わるか終わらないかの瀬戸際に立った瞬間、定女川はこちらに向けあるもの渡してきた。


「ちょーどよかったよ。あんたほら、これ捨てといて!!」


見覚えある容器。


尿瓶だった。

タップタプの。


「え、あ、はい。」


いきなりペースに飲まれた。

定女川という女はこんなにマイペースだったか?


疑念という概念を超越し、尿瓶を受け取ろうとしたその時


「いたっ」


定女川の腰は悲鳴を上げた。

容器が揺れ、定女川の手から容器が離れる。


すかさず手に取る。

しかし、ボールとは違う。水だ。

大きく波を立てた定女川の尿は俺の白衣を上下無差別にめちゃくちゃにした。



「あ、ご、ごめん!!ちょっと売店のジュース飲み過ぎて!」


頭真っ白の中、

ボソッと昔よく口にしていた言葉が

小さく囁くように、無意識に出た。



「…やれやれ。」

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