第39話 信じる力
「それで、何があったんだ」
佐伯に問い掛けられた尚哉は、他のことに気を取られていたため思考が追い付かず、直ぐには反応できなかった。そんな尚哉に、佐伯が言葉を重ねた。
「話しづらいこともあるだろうが、何があったのか正直に話してくれないか」
佐伯の問い掛けに、美咲の真っ赤な嘘を利用して話をしようとした尚哉の頭の中に達雄の言った、大切な人には本当のことを話して協力してくれるように頼んだ方がいいという言葉が浮かんだ。
佐伯は情に厚く懐の深い人物で、取引先の担当者からの信頼もあり、社内では人望を集めている人でもあった。大切な人とはニュアンスは異なるが、佐伯の尚哉に対する評価を下げたくないという思いと、期待には応えたいという思いは確かに尚哉の中にあった。
「説得しろと、樫山専務から言われたのではないのですか」
「言われたな。だけどな、俺は新井から何も聞いていないんだ。何一つ聞かないままで説得なんてできやしないだろ」
本当のことを話した上で佐伯には自分のことを信じてもらいたいと思いながらも、なかなか話す決心がつかず、頭ごなしに説得はしないのかと尋ねた尚哉に佐伯は真摯な態度で応じた。
尚哉の話に耳を傾けようとしてくれている佐伯の姿を目の当たりにし、尚哉は意を決して話を始めた。
「これから私が話すことは信じられないかも知れませんが、嘘は一つもなく全て実際にあったことです。最後まで聞いてもらえますか」
「分かった」
佐伯が頷いたのを確かめ、尚哉は深く息を吐いて心を落ち着け、秋光からゴルフへ誘われたことを初めとして順に言葉を紡ぎ出していった。
「そんなことがあったのか……」
尚哉の話を、時折、相槌を打ちながら聞いていた佐伯は、尚哉が話し終えると呟くように一言だけ言って口を閉ざしてしまった。佐伯の様子から尚哉の話を信じていない風ではなかったが、佐伯には課長としての立場があることは尚哉にも分かっていた。
何か考え込んでいるように黙り込んでいる佐伯が次に口を開いた時、どんな言葉が発せられるのかと思うと沈黙が痛かった。ジョッキの中に残っていた焼酎を口にしながら、佐伯がどのような答えを導き出すのかと考えているうちにジョッキの中身が空になっていた。
新しいものを注文しようと座卓の上に置かれていた店員を呼ぶためのベルへ手を伸ばそうとした時、それに気が付いた佐伯が自分のジョッキの中身を飲み干した。
注文を取りに来た店員へ焼酎のお代わりと料理を新たに何品か注文し、焼酎の入った新しいジョッキを受け取った佐伯は喉を鳴らしてそれを飲んだ後、尚哉を真っ直ぐに見て話し始めた。
「いろいろ考えてみたんだが、どう考えても簡単に片が付くような問題ではないぞ。厄介なのは子どもの存在だ。誰の子か分からないということは、裏を返せば新井の子どもでもある可能性もあるということになる」
尚哉を擁護しようとしているとも受け取れる佐伯の話に、尚哉は佐伯の考えが知りたくて話を引き取った。
「樫山専務に言われたように、私を説得しますか」
「何と言って説得するんだ。俺が新井の立場でも、子どもを自分の子だとは絶対に認めないぞ」
佐伯の言葉に、尚哉は肩から力が抜けていくのが分かった。しかし、尚哉のせいで佐伯の立場に障りが出ては申し訳ないと思い、あえて言葉を連ねた。
「そんなことを言って大丈夫なんですか。佐伯課長の立場が悪くなっても、私には責任を取れませんよ」
「まあ、その辺は何とかなるだろう。俺は支社から本社に移って来た身で、プロジェクトチームとの関わりもなかったし、これまでに樫山専務との絡みも殆どなかったからな。それに、新井に話してみるとは言ったが、必ず説得すると約束したわけでもない。だがな、新井。俺のことを心配してくれるのは有り難いことだが、そんな余裕はないんじゃないか」
佐伯の言う通りだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます