第19話 買い物

「ベッドを買いに行こう」


一緒に部屋の中を見ていた尚哉からの突然の提案に、なぜベッドなのと思考が停止した梨奈は、尚哉に促されるままにデパートの家具売り場へ出向いた。


 何だかよく分からないながら尚哉と一緒に展示してあったベッドを一通り見たのだが、尚哉は難しい顔をして考え込み、その様子を見ていた家具売り場の店員が話し掛けたことで、梨奈は漸く事情を理解した。


長身の尚哉に合うサイズのベッドはなかなか見つからず、ダブルサイズでは長さが足りないため、キングサイズのものを展示しているところに来てみたものの、展示品では長さが少し不足していたらしく、話を聞いた店員にどのくらいの長さが必要か計るために展示してあったキングサイズのベッドへ横になってほしいと言われた尚哉が、その通りにすると確かに踵からつま先にかけてベッドのマットレスからはみ出していた。


背の高い尚哉のつま先がチョコチョコ動く様子がおかしくて思わずクスクスと笑ってしまった梨奈に、少し拗ねたように『笑うなよ』と言った尚哉が可愛く見えて梨奈は余計に笑えた。


 結局、ベッドは展示してあったダブルサイズのものと同じタイプでキングサイズのものを取り寄せてもらうことにした。


 それから二週間後、ベルフラワーのまだ何も揃っていない二人の新居にベッドが届けられた。きちんと組み立ててもらい一緒に注文した寝具も受け取って、梨奈はその場で尚哉へ報告のメールを入れた。


すると、尚哉から、今日からそこに住むという返事が返ってきて梨奈を驚かせた。うちへは寝るために帰るだけだからベッドがあれば十分だという尚哉の言い分だったが、本当にそんなことをさせるわけにはいかず、梨奈は慌てて自分のアパートへ取って返し生活するために必要な最低限のものを用意して、ベッドの存在感があり過ぎる二人の新居で食事の準備を整えて尚哉の帰りを待った。


帰ってきた尚哉はびっくりしながらもとても喜んでくれ、その日から2人はベルフラワーの新居で一緒に住み始めた。


 一ヵ月後、生活する分には困らない程度に物が揃ったところで達樹と真衣を呼んで引越しの報告の食事会を開き、その時の事を2人に話して聞かせると達樹が尚哉に呆れた。


「お前なあ、幾ら何でも焦り過ぎだろ。相手が梨奈さんでなかったら、怖れをなして別れ話に発展してたぞ」

「梨奈でなければ、一緒に住もうとは思わないから大丈夫だ」

「まあ、ごちそう様」

「もう、真衣ったら……」


………


 楽しかった思い出に浸っていると、壁に掛けられたからくり時計の小窓が開く音が聞こえ、さっきとは違うメロディが流れて十時を告げた。


『必ず尚哉は帰って来てくれる。きっと、帰って来る』


梨奈はソファの上で膝を抱え、その上に顔を伏せた。十時を過ぎても帰って来ない尚哉に『尚哉は帰って来るんだ』と、梨奈は何度も自分に言い聞かせてみたものの、言ったすぐ側から別の考えが頭に浮かんだ。


「梨奈にも、とうとう彼氏ができたのかな」


尚哉と付き合い始めて二週間ぐらい経った頃、尚哉からのメールに返信のメールを打っていると、同僚の沙織が話し掛けてきた。


 沙織は梨奈と同じ年齢だったが、短大を卒業して直ぐに花菱製菓へ入社していたため職場では二年先輩だった。


 梨奈が入社して間もない頃、右も左もよく分からず戸惑っていると沙織の方から言葉を掛けてくれて、嫌な顔も見せずに幾度となく助けてくれた。そのうちに、プライベートな話もするようになり、沙織と梨奈の誕生日が近いことが分かって二人の距離が近くなった。

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