第9話 同棲

 尚哉との付き合いは、順調というには程遠かった。既に年末を迎えていたこともあり、仕事が溜まっていた尚哉とは、テーマパークへ一緒に出掛けたきり会えないままその年は過ぎ去って行った。


そして、新年を迎えてからも仕事に明け暮れていた尚哉とは、間もなく6月に入ろうかという頃になっても片手の指で足りるくらいにしか会えなかった。


 まるで遠距離恋愛でもしているかのように会うことが難しかった尚哉との付き合いがその間も続いていたのは、尚哉が最初の約束を守り通してくれたからだった。


尚哉は、どこにいても会えない時には、ちょっとした時間を見つけては一日に何度もメールやラインを入れてくれ、早めに仕事を終えた時には必ず電話をくれた。メールやラインの内容も電話での会話もたわいないものだったが、どんなに忙しくても疲れていても梨奈のことを忘れずに気に掛けてくれる尚哉の優しさが嬉しかった。


気が付くと、尚哉に対する愛情の芽が梨奈の中で少しずつ根を伸ばし確実に育っていた。


 そうして、漸く忙しさが一段落した尚哉と落ち着いて会えるようになった時、尚哉からのリクエストで、梨奈は地元のカルチャースクールの料理教室で講師をしている管理栄養士の母から仕込まれた手料理を振舞うことにした。


5月末の約束の日、途中で食材を買い揃え、お昼前に尚哉が一人で住んでいたワンルームマンションを訪ねた梨奈の手を引いて、尚哉は部屋の中に置いてあったカウチへ座らせた。隣に座った尚哉に言葉もなく見詰められると、梨奈はそれだけで胸がいっぱいになってしまった。


どちらからともなく顔を寄せ合い、尚哉と梨奈はお互いに不足していたものを満たそうとするかの様に幾度も唇を重ね合わせた。


徐々に深まっていく口づけに身体が熱を帯び始め、慈しむように素肌へ触れる尚哉の手に梨奈の心が震えた。気が付くと身に着けていた衣服を全て剥ぎ取られ、部屋の隅に置いてあったベッドへ横たえられていた。


「愛している」


下着まで取り去った尚哉と、お互いを確かめ合うように肌を絡ませ、何度も繰り返し『愛している』と囁かれる毎に収まり切れない尚哉への思いが溢れ出した。全身余すところなく尚哉の印を刻まれ、熱で昂ぶった尚哉を迎え入れた瞬間、梨奈は幸せ過ぎて涙が零れそうになった。


「なあ、梨奈。俺と一緒に住まないか」

「……一緒に、住むの」


一時の激情が去り、尚哉の胸に抱かれてまどろむ梨奈の髪を指で梳いていた尚哉からの突然の提案に、胸から頬を離し尚哉の顔を見ようとした梨奈を、尚哉は柔らかく抱き込んでできた隙間を埋めた。


「もう、会えないのを我慢するのは嫌なんだ。俺は、もう梨奈の温もりを感じられない冷たい毎日を過ごすのは、限界なんだ」

「……尚哉……」


尚哉の告白は、梨奈にとってこの上もなく嬉しいものだった。


 尚哉と梨奈はその日の内に不動産屋へ足を運び、二人とも気に入った十階建ての賃貸マンション『ベルフラワー』の7階の角部屋を借りる契約を済ませた。


 本年12月15日。


『今、どこにいるの』


もう何通目になるのか覚えてさえいないメールを尚哉へ送る。多分、このメールも届かないのだろう。


 尚哉が帰って来なくなって5日も過ぎると、梨奈は居ても立ってもいられなくなり尚哉の携帯電話へ電話を入れた。だが、電話は繋がらなかった。時間を置いて、二度、三度と掛け直してみても結果は同じだった。


何が起こっているのかさっぱり分からず、頭に浮かぶのは出掛けたきり帰って来なくなった日の前日、7日の夜の尚哉が何か言い掛けて止めた時の様子だった。


あの時、尚哉は梨奈に何かを伝えようとしていた。しかし、迷った末に口を閉ざしてしまった。いったい、何を伝えようとしていたのだろう。


 尚哉が帰って来なくなって、今日で一週間。どんなに思い返してみても『なぜ』『どうして』という言葉だけが、ぐるぐると梨奈の頭の中を駆け巡るだけだった。



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