第10話 同居

 本年12月8日。尚哉は専務室を出た後、美咲が予約してあった老舗のフレンチレストランで美咲と夕食を摂り、その後、分譲高層マンション『イリス』の一室へ向かった。


そこは、美咲と尚哉のために秋光が前もって購入してあったマンションだった。


 今夜から当分の間、尚哉はそこで美咲と一緒に住むことになっていた。秋光から手渡されていたカードキーで解錠し、部屋の中を一通り見て回り、その洗練された部屋の造りと配置されていた家具の豪華さに、尚哉は思わず舌打ちをしそうになった。


急遽、用意されたはずの部屋の中は、到底、俄かに調えたものとは思えず、寝室に一つだけ置かれていたベッドに至っては市販のキングサイズのものよりも大きく、凝った意匠が特注のものだと主張していた。


「どう。素敵でしょう。これなら、魅惑的な夜を過ごせそうよ」


尚哉の後に付いて部屋の中を見て回っていた美咲が、寝室の入り口で立ち止まりベッドを目に留めて苦々しく思っていた尚哉の横を通り抜け、ベッドまで歩み寄ると縁に腰掛け手触りを確かめるように寝具を一撫でして話し掛けてきた。


「俺には、使う予定はない」


尚哉を誘うように微笑み、尚哉へ向けて両手を伸ばしてきた美咲に言い置き尚哉は背を向けた。


 そもそも美咲と同居する約束はしたが、同じ部屋で寝起きをすることに同意した覚えはなく、ましてやベッドを一緒に使うなど尚哉には有り得ない話だった。


『本当に、俺は今夜からここで美咲と一緒に過ごすのか……』


広いリビングに置かれたソファセットの一人掛けの椅子にどさりと座り込み、目の前の現実を受け入れることを拒む尚哉の心が現実逃避しかけていた。


「尚哉さん……」


尚哉を追い掛けて来た美咲が、椅子の背もたれを間に挟み後ろから抱き付いて尚哉の意識を呼び戻した。尚哉はそんな美咲を鬱陶しく思い、美咲から離れ一人になりたくて入浴することを告げ椅子から立ち上がった。


 入浴を済ませてリビングへ戻って来ると、美咲はソファセットの長椅子の真ん中に座って携帯電話を弄っていた。背もたれの枠組みから肘掛へと続き、さらに猫足まで流れるようなラインを金色に縁取り、真っ白な布が張られた長椅子に座る美咲は、秋光が自慢するだけのことはあってよく似合っていた。


 不意に、尚哉の脳裏を既視感が過ぎった。


『何だ』


目を凝らして見てみると、美咲が手に持って弄っていたのは、スーツの上着のポケットに仕舞っておいたはずの尚哉の携帯電話だった。


「何をしている」


頭が何かを考えるより先に、身体が動いていた。大股で美咲へ歩み寄り、声を掛けると肩がビクッと震え一瞬手が止まったが、美咲は何事もなかったかのように無言のまま、また携帯電話を操作し始めた。尚哉は口調を強めて、再度美咲に問い掛けた。


「何をしていると、聞いている」

「あなたも失礼な人ね。私を選んでおきながら、捨てた女のことを今も引き摺っているなんて」


目線を上げて尚哉を見た美咲は直ぐに手元の携帯電話に視線を戻し、指を動かして携帯電話の操作を続けながら言葉を返した。美咲の言葉に嫌な考えが頭に浮かび、尚哉は慌てて美咲の手から携帯電話を取り上げた。




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