第8話 初デート

 本年12月15日。


「1、2、3、4、5……」


梨奈はリビングに置いてあるソファへ座り、正面の壁に備え付けられている飾り棚に置かれた卓上カレンダーの日付を目で辿って、声に出して日にちを数えていた。


 出勤する尚哉を見送った8日の朝から、今日で一週間が過ぎていた。その間、尚哉は出かけたきり、一度も帰って来ていなかった。


8日の夜、梨奈が尚哉と一緒に暮らすようになってから、尚哉は初めて無断外泊をした。次の日の朝になって尚哉が帰っていないことに気が付いた梨奈は、仕事で何か突発的な問題が起こり、連絡もできないくらいにてんてこ舞いしているのかも知れないと軽く考えていた。


尚哉なら、きっと落ち着いたら直ぐに連絡を入れてくれるだろうと信じて疑わず、その日の夜まで待った。だが、尚哉からの連絡はなかった。不安が、直ぐそこまで忍び寄っていた。


それでも、悪い方へは考えたくなくて自分を励ますように、明日の朝、尚哉に会ったら一言文句を言わなければと心に決めてベッドへ入った。しかし、翌日の朝になっても尚哉には会えなかった。


 なぜ帰って来られないのか事情だけでも知りたくて、尚哉へ電話しようとベッドの脇のナイトテーブルに置いてあった携帯電話へ手を伸ばした時、マンションの外を走る救急車のサイレンの音が聞こえてきた。


ふと、尚哉はどこかで倒れて、意識がないまま病院のベッドの上で眠っているのかも知れないと思い付いた。もしも、本当にそんな状態になっているのなら、意識を取り戻した尚哉か、あるいは、達樹からでも連絡がない限り、どこの病院にいるのかも分からない梨奈には連絡の取りようがないことに気が付いた。


 携帯電話に伸ばした手を横へ滑らせ、そこに飾ってあるフォトフレームを取り上げた。フォトフレームの中には、尚哉と出会ったクリスマスパーティの次の日に、2人で出掛けたテーマパークで尚哉と一緒に撮った写真を入れたあった。


「……尚哉。無事でいて……」


 2年前の12月24日の夜。クリスマスパーティが御開きとなった後、明日も仕事があるから帰ると言った真衣に合わせて、梨奈も二次会へは行かず家へ帰った。


大学に入った時から一人で住んでいたアパートへ帰り着き一息入れたところへ、少し前に分かれたばかりの尚哉から電話が入った。


「明日、クリスマスのイベントをしているテーマパークへ一緒に行かないか」


思いも寄らなかった尚哉の積極的な行動に梨奈の思考は深く考えることを拒否し、クリスマスのイベントが行われているテーマパークの言葉に惹かれて『行きます』と応えていた。


 次の日の朝、梨奈はそわそわと落ち着かない気分で出掛ける用意を済ませ、アパートの前で尚哉を待った。


5分ほど経った頃、自分の車を運転して尚哉が迎えに来てくれた。梨奈を見つけた尚哉が運転席から降り立った姿を見た梨奈は、発作的に約束をキャンセルして自分の部屋へ駆け込みたくなった。


前夜のクリスマスパーティにはスーツを着て参加していた尚哉だったが、その日はラフな格好をしていた。だが、服装はラフでも、改めて明るい陽の光の下で見た尚哉の容姿は異次元のそれだった。整っているというよりは、整い過ぎていることが欠点とでもいうような芸術品の域に達し、作り物のようにも見え、自分の意思で動いて話していることが不思議に思える程だった。


これから向かうテーマパークの人混みの中で尚哉の姿が人目に付くことは間違いなく、そんな尚哉と2人きりで歩く自分の姿を想像した梨奈は、出掛ける前から軽い疲労感に襲われていた。


 それでも、尚哉に促された梨奈が助手席へ乗り込み尚哉の運転で車が走り出すと、尚哉は細やかな気遣いを見せ、梨奈のことをとても大切に思ってくれていることが梨奈にも伝わっていた。暫く車を走らせテーマパークへ着いた時には、尚哉との距離が縮まったように感じられていた。


「俺たち、このまま付き合っても上手くやっていけると思わないか」


丸一日、テーマパークを満喫してアパートの前まで送ってもらい、お礼を言った梨奈へ尚哉が告げた。


 テーマパークでは、梨奈の予想通り目立っていた尚哉は人目を引き、尚哉自身そのことに気付いていたはずなのだが、丸きり意に介する素振りさえ見せず、それまでの態度と何一つ変わることなく過ごしていた。その尚哉の様子に、最初は周りの目が気になっていた梨奈も楽しまなくては損だと思い始め、いつしか人目が気にならなくなり、帰る頃には心が尚哉の色に染まることを望んでいた。


「大事にする。約束する。だから、はいと言ってくれないか」


シートベルトを外し、助手席に座っていた梨奈の右手に尚哉が手を重ね、指を絡ませながら言葉を繋ぎ、梨奈の方へ身を乗り出して目を合わせた。しっかりと合わせられた尚哉の瞳は、梨奈が怯みそうになるほど真剣なものだった。


梨奈には、はいと応える以外に選択肢がないように思え、小さく『はい』と応じた梨奈の唇へ尚哉は顔を寄せて口づけた。

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